はーとぼいるどワンダフル。

映画、テレビ、マンガなどなど。たまに広告のことも。

手塚治虫はちっとも道徳的ではない

サブカルチャー神話解体を読んだ。戦後から現在にかけてのメディアコミュニケーションの変化と社会との関わりについてまとめた本である。

いやあ、いろいろ勉強になりました。以下に、おもしろかった部分をまとめていきます。


⑴戦前から終戦までの少年少女小説は「秩序回復」という同一の物語構造を持っていた!!

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

この時代の小説は、秩序侵犯、例えば、科学者による発明の悪用、スパイの陰謀、火星人の来襲に始まり、少年少女が「強く正しく」という理想に向けて奮闘、最後には秩序回復が為されて終わるという物語構造を持っているそうだ。

この秩序の概念について本書は、

ここで回復が目指された〈秩序〉は、明治末から大正期にかけて日本近代社会において確率された、家父長制的な〈イエ〉から〈世間〉そして〈国家〉へとなだらかに連続する「近代天皇制」的な〈秩序〉のあり方に直結していた。この〈秩序〉の中で、将来の日本男児、良妻賢母の予備軍は、「強く正しく明るく」「清く正しく美しく」という〈理想〉を目指すべき〈少年〉〈少女〉として社会に規定されていったのである。したがって、彼らが体現していた〈理想〉は少年・少女たちに固有のものというよりも、まさに大人たちを含めた全社会的な〈理想〉だったのだ。


うんうん。なるほど。すごい素直に受け入れられる。ゼロ年代のサブカルと社会を結びつけた評論は納得できないものが多いけど、これは素直に納得できる。っていうのも、この時代に僕が生きてないからだろうね。今、生きてる社会だと「そんなのちげーよ」ってなるんだけど、なんせこの時代のことは知らないからね、実際には。




ちょっと話はそれたけど、この物語の流れを継いだのが戦後初期のストーリーマンガだという。


本書は例として、少年マガジンの掲載された作品を挙げている。



中学生の島田秀樹は両親を亡くして叔父の家で暮らしていた。叔父は科学者で、秘密兵器の研究をしていたが、ある日、その秘密を狙って侵入してきた賊と秀樹が格闘し、危機に陥った  ー山田えいじ『疾風十字星』




大西巨人ーもと海軍大尉で、いまは世界探偵局の日本局長。白石一郎少年とともに、世界征服を企む秘密結社などと戦う                               ー福田としかね『大西巨人



おお、、完全に一致している、物語構造。



手塚治虫による『相対的な社会』と『小さな個人』の発見。1960年代


少年少女が「強く正しく」という理想に向けて奮闘、最後には秩序回復が為されて終わるという物語構造を崩していったのが手塚大先生だという。以下の作品にその構造の変化がうかがえる。



いつかは、人間も、発達しすぎた科学のために、かえって自分をほろぼしてしまうのではないだろうか?                                     ー『メトロポリス』(1949)



ああ…人間のきずいた文化なんてもんは、大自然の力が、たった数分のうちにけむりにしてしまうのだ。いつかは人間以上のものが、人間を征服する…これは自然の法則です。      ー『来るべき世界』(1951)



そりゃあ、わたしだちだって、いきていくためにたべあいはするけれど、人間はね、もっとひどいのよ、わけもなにもなしに、ころしあったり、戦争ってものもあるのよ         ー『ジャングル大帝』(1950)



こうした手塚作品について本書は

手塚のこうした一連の作品に見られる新しさーそれは〈秩序〉の自明性が失われてしまっているということである。戦前から昭和30年代にいたるまでの少年メディアの中で疑われることのなかった〈秩序〉の絶対性は、その中に愚劣さや悲惨さを含むものとして反省され、最終的に〈支配〉の無根拠性を隠蔽するものとしてとらえ返されている。この変化が、「大日本帝国」から「戦後民主主義」への秩序転換を多感な時期にくぐり抜けた手塚自信の経験を前提にしていることは、疑いえないだろう。いずれにしても、このようにして、「歴史の時間」という非等身大的な領域性の中で相対化される社会秩序という意味論が、初めてマンガに導入されたのである。

としている。


うんうん。なるほど。大きな物語の終焉というやつなのか。手塚治虫ってそういうマンガ家だったんだ。



漫画・アニメ ブログランキングへ


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村

広告を非表示にする