岡田斗司夫さんの「まどか☆マギカ劇場版」の批評が面白かったのでまとめてみた。
まあ、批評というよりは新作の予想という感じです。
まずはキュウべえがどの程度の存在なのかということについて
問題はキューベーは超文明の情報をどの程度知っている存在なのか、キュウべえを課長に例えると、部長、取締役がいるはずで、キュウべえが知らない情報を知っているはずだ。
よく考えると、キュウべえは超文明の中ではかなり下位のポジションであることは間違いないと思う。だって、キュウべえがやってることって一般企業でいう営業だもん。キュウべえの上には営業部長がいるはずだし。ということは、超文明には隠された設定があるはずだし、新作ではこのディテールを突き詰めるのかもしれない。
次にキュウべえと超文明の矛盾について
宇宙は熱的な死へと向かっていく、つまり、より低い順位のエネルギーに変化しながら死んでゆく。
超文明はエネルギー不足で苦しんでいる、では超文明はなぜ死を受け入れることができないのか?
希望、絶望がという感情が無いのであれば、自分たちの死を座して見ることができるはずだ。
これは明らかな矛盾だ。キュウべえは僕らには希望、絶望という感情がないという。では、なぜ生きながらえようとするのか?希望、絶望がないなら、自分たちがエネルギー不足で破滅しても構わないはずだ。
しかし、彼らはそれを良しとしなかった
これはつまり希望と絶望は彼らにもあるという証拠である
おそらく超文明にも魔法少女がいた、その魔法少女が作ったのが『キュウべえ』
まどかが変えた世界のその後
宇宙全体のシステムが変わった。
魔女が消え、魔獣からエネルギーを吸い取る。まどかがシステムを変えた世界で超文明が繁栄しているとは思えない。
システムを変えるというまどかの決断は、地球では初めてかもしれないが、他の惑星であれば先に思いついた魔法少女がいたかもしれない。
他の惑星の魔法少女は超文明と対立的な構造なのだろうか。それとも、友好的にエネルギーを渡す関係にあるのか。
『まどか☆マギカ』は今までのアニメのおかしな所を極めて論理的に正したアニメである、魔法を使える、じゃあそのエネルギーはどこからくるのか
では、同じく社会学的に論理的な答えを返すとどうなるのかと言うと、超文明は安定的なものであるかどうかということであったり、超文明自体に魔法少女がいるのかどうかということにたどり着くのではないか。
まどかが超魔法少女となり一つ上の段階にシフトした、シフトしたまどかがいった世界はどうなんだろう
まどかは超文明の何億という死体を見たのではないか。
まどかは生きることに希望、絶望を感じる文明を救った、しかし、それは地球以外の上位の文明を殺すことだったのではないか。