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はーとぼいるどワンダフル。

映画、テレビ、マンガなどなど。たまに広告のことも。

『デメキング』製作背景にみる芸術とエンタメの対立

『デメキング』完結版にいましろたかしのインタビューが載っていた。これがなかなかおもしろくて、芸術性をとるか、エンタメ性をとるかっていう全てのクリエイターに通じる悩みが表れていた。

まずは『デメキング』の企画段階のはなし。

____ そもそも、当時、「ビジネスジャンプ」からは、どんな要求があったんですか?
いましろ 俺に対する要求っていうのはずっと同じ。「弱者に光を」「敗者に美学を」「虐げられた人たちにも愛を」みたいな感じ。
____ あっ、その要素って、いましろさんが自発的に作品に盛り込んでたんじゃなかったんですか?
いましろ う〜ん、そういう部分もあったけど……。俺もデビューしたてだから、編集者の言うこともある程度聞くし、そういう方向性で人気出そうよって言われてたから。基本的に俺はそうじゃないと思ってたんですけど。

いましろさんは個人的に自分は『ハーツ&マインズ』などの「弱者に光を」的な「私漫画」のクリエイターではないと感じていたようだ。

当時は「私漫画」よりエンタテイメントが描けてナンボという風潮があったんです。やっぱり漫画家として、自己表現系やアート系よりはストーリー物、それも「次、どうなるんだ」って読者を引っぱっていくような…ようするに「引き」のある漫画のほうが、技術的にも上なんじゃないかっていう考え方があって。自分もそういうふうに思い込んでいたところがあったんです。俺だって、最初からつげ義春山松ゆうきちを読んでいたわけじゃなくて、「引き漫画」が好きだった時期もあるし。だから、そういうのもあって、今度の連載はストーリー物でやらしてくださいって編集者には言ったんです。

つまり私漫画的な芸術よりで評価されてきたいましろさんが、自分の気持ちに素直に初めてエンタメをやってみようと考えた。そしてできあがったのが『デメキング』なのだ。

「タイムスリップ」ものをやってみよう

改めて考え直して、「SF冒険もの」「読者の意表を突く物」「引き漫画」、その3つをやってみようと。で、ここらへんはもう気持ちの問題だからうまく説明つかないけど、時代設定は60年代末から始めて、現代まで持ってくる。「現代」っていうのは当時だから91年までね。そういうタイムスリップ物で、サスペンスにしてやろうと思ったんです。ちょうど『ターミネーター』みたいな感じで。

ターミネーター』が元ネタだったとは。蜂谷は予知夢を見たというよりは、未来からタイムスリップしてきた自分を見たってことだったんだ。

 ただし皆さんご存知のように『デメキング』は偉大なる失敗作という扱いになっている。なぜ失敗したのか?それは作者の中での芸術とエンタメの対立が起こったからのようだ。

そして、失敗へ

____ 亀岡が「平成」って元号を取り入れて小説を書くわけじゃないですか。そこにタイムパラドックスみたいなものが発生するのかなと。
いましろ まあ、なんかいろいろ使えるかなとは思ってました。でも、そういうプロットも、描いてみてからじゃないとどうなるかわかんないですから。とりあえず亀岡くんも含めて、いろんなキャラクターを出していって読者を煙に巻こうと。それで主人公も変人でよくわかんない存在ってことにしとけば、あとでどうにでもつじつまを合わせることができるし。その程度にしか考えてなかったですよ。
____ 後半は、怪獣登場に合わせて、そういうキャラクターたちが集結していく感じですか? 
いましろ そのつもりでした。ところが、どうにもつじつまが合わない(笑)。当時の編集長にも、「デタラメじゃねえか、やめろ」って間接的に言われたんです。「好きにやるには10年早い」とも言っていたかな。腹は立ったけど、俺自身、これは無理だと思いながら描いていたから、まあその通りだよなって。
____ その「やめろ勧告」が連載終了のきっかけに?
いましろ そうですね。ちょうど隕石の絵を描いた段階で言われたのかな?あの隕石のなかに怪獣が入ってるんですよ

____ 僕の勝手な想像ですが、『デメキング』には大きな分岐点がいくつかあって、次の分岐点だけ決めて、あとはアドリブに任せて走りながらつくっていたような気がするんですが。
いましろ うん、そうですよ、俺は分岐可能な段階まで突っ走るのが得意ですから。ただ、分岐点に来たときに決心がつかないっていう……(笑)。つまり、やっているうちに「あ、俺ってやっぱりストーリーには興味ねえんだ」ってことがわかってしまったんです。ストーリーって、作者が手品の種を知ってるのと一緒なんですよ。ある意味、相手をびっくりさせるためだけにやっているところがあるんです。そうすると、これは資質だと思うけど、俺は楽しくないんですよ、スティーブン・キングなんかは、読者を手玉に取るのが快感だって言うけど。でも、俺は描けば描くほどに、漫画としての嘘や芝居っていうのが構築できないんだなぁって。そもそも『デメキング』みたいな話をやるときは、最初に大きな嘘をバーン!とつかなきゃならないんだけど、それができなかった時点でああ失敗だなって(笑)。だから、「やめろ」と言われたときに、「はい、失敗しました」で終わったわけです。

 自分は別に私漫画の人間じゃない、エンタテイメントもできる!と思って始めたのだが、結局、ストーリーに興味がないってことに気づいてしまった作者。私漫画で始まった『デメキング』が急にエンタメになり、また私漫画に戻る、その理由は芸術とエンタメの間で揺れる作者の葛藤があったのだ。と良いように書いたが、つじつま合わなくなって放り投げたということもできる。しかし、その思い切りの良さが『デメキング』を唯一無二のいびつな漫画たらしめる理由でもある。

 浦沢直樹の『20世紀少年』も最後は私漫画のような形で終わってしまった。浦沢は「ともだちの正体」よりも「ロックが好きな自分」、「音楽が世界を救う」をやりたかったのだろう。実際、主人公ケンヂは巻を重ねるごとに髪型、顔が浦沢直樹本人に似てきている。

 最近のラース・フォン・トリアーの映画もどんどん芸術の方に近づいているように思う。芸術にいくのか、エンタメにいくのか、全てのクリエイターに共通の悩みなのだろう。

 

 

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