『恋する幼虫』なぜ荒川良々は首を切り落とすのか?

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 主人公フミオは見てしまう、憧れのお姉さんが眼球を引っ張りだされている光景を……噂に違わぬヘンな映画『恋する幼虫』。究極の純愛映画としてカルト的な人気を集める作品らしいんだけど、、この作品を理解するのは相当難しいよね〜。とにかく井口監督というのは直接的な表現より暗喩を好む人で、上述のようなエログロな暗喩に満ちているため、ぼくのようについていけねーよ!って感じる人が多いはず(笑)

以下あらすじ

 売れないエロ漫画家のフミオ。読者の読みたい物を描かない自分を棚に上げ、編集者をイジメてはその憂さを晴らしている小心者の彼は、ある日、新人編集者のユキに自分のトラウマを正直に描いたマンガを否定され、発作的に彼女の頬をペン先で刺してしまう。1ヶ月後。自責の念に苛まれた彼はユキの部屋を訪ねてみるが、なんとそこには頬におぞましい傷痕を残したユキの姿があった。しかも、彼女はその傷痕から虫のような触手を出し、…映画.comより


 あらすじ読んだだけでこの作品のおかしさが分かるだろう(笑)これから井口監督独特のエログロ表現が何を意味しているのかということを中心に書いてみます。

トラウマとしてのセックス

 荒川良々演じるマンガ家のフミオは子供の時にあこがれの親戚のお姉さんがその彼氏に<眼球を引っ張りだされている>のを観て以来、女性に対してのトラウマを持つ男である。自分で書いてて、やっぱり凄い映画だな(笑)と思うのだけど、これは、まあ明らかに<眼球を引っ張りだされている>=〈セックス〉と考えていい。展開的にも演出的にも明らかだ。そんな過去をもつ彼は、ある種の女性嫌悪、セックス嫌悪に陥っており、反射的に女性に暴力を振るったりしてしまう。

 ある日、フミオは編集者ユキと締め切り前の徹夜作業中に彼女の頬をペンで刺してしまう。自分のトラウマ、つまり眼球を引っ張りだすイメージを初めてマンガに書いたのに、ユキに否定されたこと、そしてまたユキに彼氏から電話がかかってきた(自分のせいで帰りが遅れ、彼氏に怒られている)ことにパニックになってしまったからだ。ユキは刺された傷口が腫れ上がり、やがてそこから寄生虫が出てくるようになる。<傷口から寄生虫が出てくる>のはフミオのトラウマである<眼球を引っ張りだされている>=〈セックス〉のイメージと重なるものだ。

松尾スズキ演じる元彼は物語上の父

 松尾スズキ演じるのはユキの元彼である。ユキの傷をみて逃げ出し新しい女を連れている彼に対し、ユキは血を吸うことで復讐しようとする。ユキは彼を縛り上げてカッターで首を切ろうとするが、できない。まだ彼に対し愛情が残っているのだ。そんな中、松尾スズキ演じる元彼はカッターで自分の首を刺す。おれはユキのためならこれくらいできるよ、なんでお前はできないの?そうフミオに問いかける。つまり松尾スズキ演じる元彼はフミオにとって乗り越えなければならない〈物語上の父〉なのだろう。ユキに対して愛を誓うなら、過去のトラウマを乗り越え彼女に自分の血を吸わせなければならない。

首を切り落とすということ

 ラスト、フミオは首を切り落とし彼女に血を吸わせる。これが一番むずかしい。なぜ首を切り落とすのだろう?首を切り落とすというのは性器を切り落とすメタファーとして使われるのだが、この映画の中ではそういう意味では使われていないだろう。
 首を切り落とすとどうなるのだろう?当然、ユキの寄生虫を見なくてすむ。自分の過去のトラウマ(セックスのイメージ)を思い出させるそれを見なくていいのだ。元彼の行動を見たあとも、自分の自意識が邪魔をしてどうしても血を吸わせることができなかったフミオは、首を切り落とすことで乗り越えようとしたのだろう。自らの自意識を断つことで。

こうやって書いてみると、過去のトラウマから脱し切れないフミオの成長物語っていうよくある話なのが面白い(笑)まあ、一般的なストーリーの解釈はこれでいいんじゃないだろうか。いかんせん、映画がマイナー過ぎて、データがなく困ったのだが(笑)
 

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