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はーとぼいるどワンダフル。

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トトロの都市伝説はなぜ99%正しいのか。

アニメ 考察

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 トトロの都市伝説を知っているだろうか?列挙するとこういう感じである。

・サツキとメイは死んでいた
・後半、サツキとメイの影が薄くなる
・「メイ」と書かれたお地蔵さんが一瞬映っている
・トトロは、死期が近い人間、もしくは死んだ人間にしか見ることができない
・猫バスはあの世に繋がっている乗り物
・サツキとメイは母親に会ってない
・エンドロールは過去の回想シーン
・物語は、全てお父さんの妄想だった

 なぜいまさらこんな話題を?ってなるが、敬愛する大塚英志さんが『物語の命題』の中でこの都市伝説について触れていたからなのだ。大塚さんによると、この都市伝説はある意味正しいらしい、ジブリに公式に否定されているのだけど、物語論的に見ればかなり正しい解釈らしいのだ。
 

死者の救済というモチーフ

大塚英志さんは著書『物語の命題』の中で

ぼくがおもしろく感じるのはそもそもメイが迷子になってからお母さんのいる病院までのくだりは、「主人公は愛する人の魂を救済に死者の国に行く」という、神話でしばしば援用される物語構造を持っているからです。

 
大塚さんは『千と千尋の神隠し』の千尋が銭婆のところにハクの許しをもらいにいく下りもこれと同様であるとする。実はこれギリシャ神話のオルフェイスの物語構造と同一らしいのだ。ざっとまとめると以下のようになる。

オルペウスの妻エウリュディケーが毒蛇にかまれて死んだとき、オルペウスは妻を取り戻すために冥府に入る。
            ↓
オルペウスは冥界の王ハーデースとその妃ペルセポネの王座の前に立ち、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めた。オルペウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハーデースは、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。
            ↓
目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それが最後の別れとなった。

 死者を取り戻しに行くというモチーフだけでなく、後半の決して後ろを振り返ってはならないというのは『千と千尋』と全く一緒である。この『死者を取り戻しにいく』というモチーフは実はいろんな作品で使われている。例えば村上春樹の『ノルウェイの森』、、とか


メイも母親も象徴的には死者

大塚によるとこうした物語を援用する場合、登場人物が実際に『死ぬ』必要はないという。例えば、よしもとばななの『キッチン』では

 主人公みかげの恋人、雄一が一種の鬱状態になります。みかげは旅行先でみつけた「カツ丼」を不意に雄一に食べさせたいと思い、タクシーをひろって雄一のもとに届けます。ちなみにみかげがカツ丼を手に入れたのは伊豆半島のどこかです。川端康成の『伊豆の踊り子』では踊り子一行が実は死んだ赤子の回向のために伊豆を旅していたことが明らかになりますが、伊豆はまさに「死者の国」です。そこから「カツ丼」、つまりは「死者の魂」をみかげは持ち帰るわけです。

 つまり、みかげはあくまで象徴的な死者の国の伊豆に旅し、象徴的な死者の魂であるカツ丼を持ち帰り、象徴的な死者の雄一を生き返らせるということだ。大塚はトトロもこれと同じであり、象徴的な死者のメイを救済し、象徴的な死者である母の下へ行き、カツ丼の代わりにトウモロコシをおいてくると分析している。

 
 トトロの都市伝説で間違っているのは実際にメイや母親が死んでいるとした点である。象徴の水準を無理やり作中の現実に当てはめたのがトトロの都市伝説で、物語構造的にはその解釈で99%正しいのだ。

 

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