【映画】『パリ、テキサス』それは男、女。

ヴィムヴェンダース監督作品で、第37回カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した『パリ、テキサス


4年間砂漠を放浪したトラヴィスが精根尽きて倒れたところからこの映画は始まる。
言葉を失った兄を保護し、家につれて帰る弟。

弟に促され、トラヴィスが初めて口にした言葉『パリ、パリに行きたい』


主人公トラヴィスは徹底的に『子供』として描かれている、

弟夫婦の家に居候するが、仕事を手伝うこともない。飛行機も怖い。
自分の子供ハンターに父親として認められたいと思い、弟のスーツを着る。

これら全てがトラヴィスの精神的な幼稚さを示すためのものだろう。



マジックミラー越しのかつての妻ジェーンとの会話はヴィムヴェンダースの天才的な演出だ。


トラヴィスがジェーンを一方的にしか見るめることができないし、逆もまたしかり。
決してお互いの視線が合う事は無い。男女の恋愛の不可能さをこれでもかと観客に問いかけてくる。

『客と外で会うこともあるんだろ』とジェーンを問いつめるシーンは、トラヴィスの過剰な愛「嫉妬」からくるもので、
彼が全く成長しない男、そして彼らは出会った頃のように愛し合うことはできないことを示している。


ところで、冒頭の「パリ」とはテキサス州に実在するパリのことである。だから「パリ、テキサス」なのだ。
トラヴィスの親が結ばれた場所であり、彼が生を授かった場所でもある。
彼の父は自分の妻はパリの女だと周りに言いふらすうちに、本当にフランスのパリの女だという妄想に取り憑かれるようになる、
それは、かつて彼がジェーンは浮気しているという妄想に取り憑かれたように

パリ、テキサス」は決して到達しない恋愛の理想郷だ。

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