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はーとぼいるどワンダフル。

映画、テレビ、マンガなどなど。たまに広告のことも。

映画「告白」の監督 中島哲也が嫌われる理由。

中島哲也という映画監督がいる。映画「告白」でアカデミー賞を受賞した今や日本映画界を代表すると言っても過言ではない監督だ。


ただ非常に映画評論家界隈で評価が悪い。
あいつの映画は映画じゃねえ!って中島監督かなり嫌われています。

なんで嫌われているかって、実は彼の経歴に結構関係があって。
中島哲也はもともとCMクリエイターだったのだ。広告業界で彼のことを知らない人はまずいないというくらい有名な人。

中島哲也の主なCMがこちら



_中島哲也監督|「新しい常識がやってくる」家族篇(J-PHONE TVCM 30")|石川真希、浦田賢 ...


[CM] 豊川悦司 サッポロビール 黒ラベル 「温泉卓球」篇 2000 - YouTube


中島哲也監督|ドコモdビデオ「家篇」(docomo CM 30秒)|石井杏奈 小松菜奈 ...

サッポロビール黒ラベルではACC賞グランプリ受賞など輝かしい経歴である。

で、中島哲也監督批評の決定版がこちら。
映画評論家・アートディレクターの高橋ヨシキ氏のブログである。



『告白』するけど、本当にバッカじゃねえの? - Lucifer Rising


高橋ヨシキ氏はこう言う。

(通常の)映画は、単なる印象の羅列とはまったく違うものだ。映画のカットや小道具、照明、アングル、それに特殊効果などは、すべて「そこで何が起きているか」を指し示すための彩りだ。ペキンパー映画のスローモーションは、伊達や酔狂で「なんとなく」スローな映像を入れてみたわけではないし、『ブルー・ベルベット』でローラ・ダーンが暗闇からすっと現れる場面は、「なんとなく暗闇から出てきたらかっこいいから」そうなっているわけではない。そこには文脈と関連した意味がある。まっとうな映画を作る人たちは、自分の映画を意味で埋め尽くす。

しかし、中島哲也監督の演出には意味がない。スローモーションも妙なアングルもただ何となくかっこいいからであって、それは何かを語るために配置されたものではないのだ。

要するにCMと映画は違うんだよ!ボケ!ということ。


一方、評論家の宮台真司氏は中島哲也のスタイルを評価している。


宮台真司による映画『告白』分析 - Togetterまとめ

圧縮化、距離化、寓話化と言われるとなるほどな〜とも思うが、、

結局、中島哲也が嫌われる理由は、一つで映画を通して何かを物語ろうとするのではなくて、おれの創った映画すごいだろう演出すごいだろうってドヤ顔が見え隠れしているからだ。そこに敏感に反応してしまう人にとっては、とてもじゃないが映画を最後まで観ていられないだろう。


ぼくが思うのは、中島哲也って本当に語りたいことがあるのかな?ということだ。
語りたいことがないけど、とにかくかっこいい映像が撮りたくてやってる人なのではないかと思う。彼の出身の広告業界っていうのは不思議で、実は監督が全権をもって制作しているわけではない。有名なサッポロ黒ラベルのCMもそうだが、監督の上にクリエイティブ・ディレクターがいる。サッポロ黒ラベルのクリエイティブ・ディレクターは日本初の純粋なクリエイティブエージェンシーであるタグボートの岡康道である。基本的にCM制作とは作品のクオリティにすべての責任を持つクリエイティブ・ディレクター。CMのプランを考えるCMプランナーがいて、撮影と演出にすべての責任を持つ監督がいる。

いわば、自分のアイデアを形にするわけではなくて、人の考えたプランをどう料理するかがCM監督の仕事なのだ。
だから中島哲也監督の映画は原作ものが多いんじゃないだろうか。この原作を自分が如何に演出するのか。如何に映像の力で観客を熱狂させるのか。そこには別に自分の語りたいことなんて無い。


そんな中島哲也の最新作「渇き」は意外と好きな映画だった。たぶんかなりタランティーノの映画を意識した感じで、持ち前のかっこつけ感っていうのもそんなに表に出て無い気がする。ただ完全にギャングものの洋画を意識して作っているので、登場人物のキャラクターが外人みたい。ずーっとにやにやしてる妻夫木聡なんてその典型だ。「ファック!」の代わりに「クソ!」を連発する役所広司も。

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そして、加奈子役の小松菜奈は唯一無二の存在感を発揮している。小松菜奈という女優の発見だけで「渇き」は評価されるべき作品じゃないかと思う。


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