先日『ブレードランナー』ファイナルカット版を鑑賞。これで3度目の鑑賞だけどやっぱり凄かった。何が凄いってそのマイナー臭というかカルトっぽさというか。
ストーリーはすごく単純。2019年地球は荒廃し、人類は宇宙の開拓のために人造人間レプリカントを作り出した。レプリカントは当初奴隷として扱われていたが、彼らにもやがて感情が生まれた。そして人類への反撃が始まる。そういった人類に反乱するレプリカントを始末するのがブレードランナー、デッカード(ハリソン・フォード)だ。ブレードランナーの仕事に疑問を抱き、辞めていたデッカードだが、バッティ(ルトガーハウアー)率いる反乱軍に仲間であるブレードランナーを殺されたことをきっかけに、職に復帰、、とこんな感じ。
『ブレードランナー』がこんなにカルトっぽいのにはいくつか理由があって
1.主人公デッカードが弱い
とにかくハリソン・フォード演じるデッカードが弱い。『ブレード・ランナー』なんて大層な名前の職業のくせに、女型レプリカントには股にはさまれたり(笑)ラスト、バッティにはボコボコにされた挙げ句、命を助けられるという屈辱。確かにレプリカントを殺すという意味で任務はこなすのだけど、必死に追いかけて銃乱射して殺すとか、、なんか泥臭い。
唯一の武器がこの銃(笑)なんだよ、それ。ハリソン・フォードっていうとスターウォーズやインディ・ジョーンズで何か強いイメージがあるのに『ブレードランナー』でのダメダメぶりには多くの人が拍子抜けしただろう。
このデッカードのキャラクターについてリドリースコットはこう語っている。
『ブレードランナー』はフィルム・ノワールとして作られたものだ。未来に生きる男デッカードには、私立探偵フィリップ・マーロウのようなキャラクターを想定した。進むべき道に迷い、任務が高じて窮地に陥る。デッカードはレプリカントと名づけられた人造人間を追跡している。(映画.comより)
確かに私立探偵を意識したなら、めちゃくちゃ強いってのもおかしいよね。
2.なんかこの街、東京ぽくね?
『ブレードランナー』といえば、あの荒廃した未来都市だよね〜としたり顔で語る人にはいらっとするが、確かにこの映画の魅力の一つだ。
アジアっぽい雑多で荒廃した未来都市っていうのは、ほんとに後の映画でパクられまくってて、最も代表的なパクリ映画が押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『イノセンス』
ブレードランナー以降のすべてのSF映画に影響を与えたといわれるこのビジュアルデザインは、エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」という作品の影響を受けているのだそう。
ホッパーは自らの絵について語ることはあまりありませんでしたが、『ナイトホークス(夜更かしの人々)』については創作の意図を語っています。この作品はグリニッジ街のレストランから着想を得て、夜の街路についての情景を描いたもので、無意識に大都会の孤独を描いたものだといいます。(biz.trans-suite.jp より )
3.デッカードはレプリカントか?という問い
反乱するレプリカントを追っているデッカード自身がレプリカントなのだという考察がある。撮影中、リドリースコットはデッカード=レプリカントというアイデアを思いつき、そう演出しようとしていたらしい。しかし、試写の際、ほとんどの観客は上記のようにデッカードがボコボコにされる展開やユニコーンの折り紙を拾うというバッドエンドに首をかしげたのだそう。さらにはハリソンフォードやルトガーハウアーなど主要キャストまでこのデッカード=レプリカントという設定を嫌ったらしく、結局、劇場ではとってつけたようなハッピーエンド(レイチェルには寿命が設定されてなかったというボイスオーバー)で公開された。観てないけど。
ファイナルカット版ではレイチェルがデッカードに「あなた自分でテスト受けたことある?」という会話や、ガフが作ったユニコーンの折り紙(つまりガフはデッカードの夢の内容を知っている)など、デッカード=レプリカントを示唆するシーンがあることからも、リドリースコットが意図した本来の形であることは間違いない。
4.バッティ(ルトガー・ハウアー)が魅力的すぎる
とにかくこのバッティが魅力的。あらかじめ寿命が決まっている運命を知ったバッティが生みの親タイレル博士に詰め寄るシーンの凄さと言ったら、もう。バッティはタイレルにありとあらゆる方法で寿命を延ばすよう頼むが、タイレルは一言「美しい火は早く消えるのだ」一度、人造人間として生命を持ったものの寿命を延ばす方法は無かった。絶望と憎しみに満ちた表情でタイレルを殺すバッティ。
そしてラスト、バッティはデッカードに語りかける。
お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた
オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦
暗黒に沈むタンホイザーゲートのそばで瞬くCビーム
そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう
雨の中の涙のように
俺も死ぬときがきた
ちなみにハトを飛ばすシーンはルトガーハウアーのアイデアだそう。インタビューでは以下のように答えている。
──ハトを飛ばせたのはあなたのアイデアですね? ジョン・ウーも白いハトを飛ばしますが、あなたのほうが先ですね。
「本当? それはすごい賞賛だな。映画の中で凄惨な死が出てくるのは構わない。でも終わりのほうでは、あんな風に(手を打ち鳴らす)死んでいくのもいいと思ったんだ。まるで電池が切れたようにね。凄惨なところはどこもない。だから白いハトのアイデアはいいなと思ったんだよ。ハトを放した時、魂が身体から去る瞬間が分かるから。ところが、(実際の撮影では)ハトは飛んでいかずにじっとしていたんだ。まるでピーター・セラーズ(のコメディ)みたいだったよ。『飛べよ。鳥なら鳥らしく飛んで行け』って思ったね。『羽が濡れたから飛べないよ』ってわけさ。とにかく、それがハトの話さ。今でもいいシーンだと思うね」(映画.comiより)
なんとジョン・ウーより早かったとは、ルトガー・ハウアー恐るべし。
そして最後に『ブレードランナー』のラッシュを観たフィリップ・K・ディック(彼は映画の完成を待たずに亡くなった)の言葉。
『ブレードランナー』は、サイエンスフィクションとは何か、今後は何ができるのかについての私たちの認識に、革命をもたらすだろう。