100日後に死ぬワニという作品は、作者の無自覚さによって殺された。

応援していたインディーズバンドが、一気にメジャーになってしまうことの気持ち悪さ、みんな体感したことがあるだろう。
ああ、あのバンドもとうとうMステ出るんだ。みたいな。でもあくまで「とうとう」なのだ。ワニの場合、インディーズからメジャーへのジャンプ率が激しすぎた。SNSで始まった自主制作感、この作品を見つけた私がみんなに広めたいというファンの自己顕示欲も台無しとなった。

こんなことになってしまったのも作品を愛し、作者とよりそうことができるプロデューサーの不在にある。今回は自主制作から火がついたので作者本人がプロデューサーとなるしかないのだが、そのつもりは全くないようだ。

作者は、今回の商業化によって作品が損なわれることに徹底的に無自覚だ。

作者にとって友人の死をテーマに描いた大切な作品ではなかったのか?ほんとうにいきものががりなんかとコラボしたかったのか?ほんとうに映画化してほしかったの?カフェなんてつくってもらいたかったの?グッズなんてつくってもらいたかったの?それらが作品の価値を損なうとは思わなかったの?
クリエイターは利用されることに自覚的でなければ、作品を守ることはできない。
自分にプロデュース能力が無ければ、信頼できるだれかの力を借りるしかない。
自分ひとりでやりたいのなら、作品の価値を第一にとらえ、次々ともちかけられる話をちゃんと判断しないといけない。
商業化の展開を見てて思うのだが、机に広げられたプランナーのアイデアラッシュを選別することなく、なんの統一感もコンセプトももたずに、実施と決め垂れ流されているように見える。でもそれらに許可を出しているのは作者のはずだ。


話は変わるが、この作品はいわゆる倒叙ものである。
推理小説などで、先に結論や秘密を読者と共有する手法だ。

先に犯行シーンを描き、読者にだけ犯人が分かる状態とすること。また、例えば殺人犯が部屋に隠れているとするとして、それは読者には明らかになっている。しかし、登場人物は殺人犯がその部屋にいることを知らずに、のこのこと入っていく。つまり、登場人物はだまされている状態だ。

本作品では、ワニが100日後に死を迎えることを読者にだけ明らかにし、ワニなど登場人物たちをだましている。特徴的なのは、タイトルと死まであと●日という、コマ外の一言で、読者に秘密を明かしていることだ。本作品のもっとも優れて独創的なのはこの点にあり、コマ内のキャラクターや作画は正直まったくおもしろいとは思わなかった。つまり語りの手法のみが独創的であったのだ。


また、たぶん100万回生きたネコにタイトルではもちろん、生と死を扱うテーマはインスピレーションを受けてるだろう。その上で生と死の語りの手法を変えたのだろう。