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天才 宮崎駿と呪われし息子 宮崎吾朗の爆笑エピソードまとめ

 天才、宮崎駿とその息子 宮崎吾朗の関係についてまとめてみたい。宮崎吾朗は偉大なる父と同じアニメーションの世界に毀誉褒貶にさらされていることが分かっているのに、なぜ入ったのか。そして、「ゲド戦記」「コクリコ坂から」など制作現場に口を出してくる父と、その力から逃れようとする宮崎吾朗、そんな爆笑エピソードをまとめてみた。

吾朗はなぜジブリで働き始めたのか?

 鈴木敏夫は、当時、緑地設計の事務所で、講演や都市計画の建設コンサルタントとして働いていた宮崎吾朗ジブリ美術館の責任者として呼ぶことに決めた。宮崎駿にそのことを告げ了承をもらう時に、鈴木はあえて、3人候補がいるといい、ありえない人物の名前を2人告げ、宮崎が「ふざけるな!鈴木さん!」と言った後に、宮崎吾朗の名前を告げたのだという(笑)さすがの策士である。すると、宮崎駿は動きがピタリととまり、間があいた後、

宮崎:それは本人の問題だ。鈴木さんが説得して、本人がやるというなら、俺は反対しない(天才の思考 高畑勲宮崎駿より)

 当の宮崎吾朗は、鈴木のオファーに、即答で、「やります」と答え、ジブリ美術館の設立の責任者となる。この時、なぜ吾朗はこんなにも即答で話を受けたのか、鈴木敏夫はずっと疑問に思い、その理由を解き明かしたいと考えながら吾朗と仕事をしたのだという。
 宮崎吾朗が、父 宮崎駿がデザインしたプランを元に設計プランに落とし込んでいく際に、どうしても法律上、実現できないものがあったらしい。「なんだ!その法律は!!」と怒鳴る宮崎駿に対して、「ダメなものはダメです」と断固として拒否したという。そんな、宮崎吾朗の姿勢に、鈴木敏夫はこれまで宮崎駿高畑勲に才能を吸い取られ潰されてきた演出家やアニメーターたちに感じたことのない頼もしさを感じたのだという。

宮崎吾朗 初監督作「ゲド戦記

宮崎吾朗が「ゲド戦記」監督のオファーを受ける経緯

 宮崎吾朗が初監督した「ゲド戦記」。ここから、映画制作をめぐる親子の戦いが始まる。
 もともと、「ゲド戦記」は宮崎駿が最も影響を受けた作品であると公言し、映像化を原作者のアーシュラKル・グウィンにこれまで何度も直訴し映像化を断られ続けた作品である。それが、ル・グウィン側から、宮崎駿は、黒澤明フェデリコ・フェリーニと並ぶ天才で、自分の「ゲド戦記」を是非やってもらいたいと話があったのだ。ちなみに、これは、宮崎駿が「千と千尋の神隠し」でベルリン映画祭グランプリをとった後だ(笑)しかし、宮崎駿は、大好きな作品のオファーがある嬉しさとともに、年をとりすぎた自分では、納得のいく作品がつくれないと断る。
 そこで、ジブリ美術館の立ち上げが終わり、ジブリを去ろうとする宮崎吾朗に「監督をやらないか」と声をかけたのが鈴木敏夫。当時、監督をやる予定だったアニメーターがプレッシャーのあまり、企画を降りてしまった。そこで、宮崎吾朗に声をかけた理由を鈴木敏夫はこう語っている。

僕の中で前から引っ掛かっていた疑問があらためて浮上してきました。美術館の仕事で声をかけたとき、彼は余計な説明は求めずに、二つ返事で引き受けた。父親と衝突するのは分かっていたし、実際に建設を進める中で何度も問題が持ち上がりました。それでも、彼はそれを乗り越えた。 今回も、彼が監督することになれば、「宮崎駿の息子というだけで監督になれるのか」という目で見られるのは確実だし、当然、父親との軋轢も避けられません。それなのに、彼は「できない」とは言わなかった。それはなぜなのか? 映画を作ることと同時に、その謎を解くことも僕の中でテーマになっていきました。(天才の思考 高畑勲と宮崎より)

鈴木敏夫はなぜ宮崎吾朗を監督に選んだのか?

 なぜ、鈴木敏夫宮崎吾朗を選んだのか?それは、この鈴木敏夫の言葉を読むとよく分かる。吾朗が宮崎駿のプレッシャーに負けずに、最後までやり抜くことができる唯一の人間であるということをジブリ美術館の経験から感じたのだ。これまで細田守を含めて、幾多のアニメーターを潰してきた宮崎駿に対抗できるのは、息子、宮崎吾朗だけであると。ジブリのアニメーターに監督をさせても、プレッシャーで潰れてしまうし、外部から押井守庵野秀明を連れてこようとしても断られてしまう。そんな中で、どうジブリの未来を描くのか、その唯一の答えが息子、宮崎吾朗だったのだろう。

宮崎吾朗はなぜ監督を引き受けたのか

 吾朗はというと、子どものころから、実はずっとアニメの仕事をやりたくてたまらなかったのだ。しかし、宮崎駿に書いた絵を「下手くそだ!」と怒鳴られ、母には、「アニメの道に進んで、あんな人間(宮崎駿)になってはいけない!!」と泣かれてきた(笑)吾朗はというと、家にいない宮崎駿アニメージュのインタビューを何度も読んで、絵コンテの描き方などすべて頭の中に入っていたのだ。これが「ゲド戦記」で初めて監督をする時に、ジブリ全スタッフが驚愕し、庵野秀明が「どうして早くやらせなかったんですか!」と鈴木に言ったという絵コンテのできにつながってくる。
 ジブリ美術館の時とは違い、即答ではなく躊躇した宮崎吾朗だが、監督を務めることを了承した。なぜなら、父 宮崎駿の仕事にあこがれてずっとやりたかったのだから。しかし、ここから、吾朗の地獄は始まる。

宮崎駿が「ゲド戦記」 原作者を訪ねた際の爆笑エピソード

 鈴木敏夫は、制作が始まって、正式な許諾を得るために、ル=グウィンの自宅を訪ねることになったが、その時点で吾朗が監督をすることはまだ伝えていなかった。許諾を得るために、どうしても宮崎駿の力が必要なため、渋る宮崎を無理やり連れて行ったのだという。
 宮崎は、これまでル=グウィンの作品にどれだけ影響を受けたのか語り、20年前だったら自分が監督をしたが、年をとりすぎたので、息子たちとスタッフに任せるといったそうだ。すると、ル=グウィンは、

「二つ質問があります。まず映画化にあたっては第三巻が中心になると聞いています。第三巻に登場するのは、すでに中年になったゲドです。あなたは自分が年老いと言いますが、むしろいまのあなたにこそふさわしいテーマなのではありませんか? もうひとつ、あなたは息子が作るスクリプトに対して全責任を持つと言いましたが、それはどういう意味ですか? だめならやめさせるとはどういうことでしょう? あなたは映画化の許諾を取りにきたのではないのですか?」

鋭い指摘に、宮崎駿は不安になり、鈴木敏夫に助けを求めると、「つまり、ル=グウィンさんは、映画のプロデューサーとして責任を持つのですか?と聞いてるんですよ」と言ったのだという。それに、宮崎は、

冗談じゃない!ひとつの映画に親子で名前を並べるなんて、そんなみっともないことはできない

原作者の前で、吾朗の絵を酷評

 とここまでは、ありそうな話なのだが、場をなごませるために、ル=グウィンの家で食事をとることになった鈴木と宮崎駿。宮崎は、急に吾朗の書いた絵を指差して、

これは間違ってます。龍とアレンが目を合わせているのはおかしいでしょう。こちらの絵の方が正しいと思います。

 そして、自分が描いた絵の正しさを熱弁しだしたのだという。鈴木敏夫もさすがにこの時は、宮崎駿を殴りたいと思ったらしい(笑)

宮崎駿ゲド戦記の評価

僕は、自分の子どもを見ていたよ。大人になってない。それだけ。

 押井守庵野秀明は、デビュー作としてのハードルは超えているという評価だったようだが、肝心の宮崎駿は違った。
 NHKの密着取材中のできごとだ。宮崎駿は誰もが来ないと思っていた関係者向け試写会に当日、急に現れ(笑)アレンの父殺しのシーンで、席を立った(笑)

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席をたつ宮崎駿

気持ちで映画つくっちゃいけない。もう3時間ぐらい座ってる気がする。

と煙草を吸い、席にもどる。

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試写会終了後の宮崎駿

(カメラに向かって)何を聞きたい?

僕は、自分の子どもを見ていたよ。大人になってない。それだけ。

1本作れたからいいじゃんね。それでやめたほうがいい(笑)

初めてにしてはよくやったっていうのは、演出にとっては屈辱だからね。この1本で世の中を変えようと思ってやんなきゃいけないんだから。変わりゃしないんだけど。それが、映画作るってことだと思うから。実際には何も変わらないんだけど。

女房は、高校生の頃にあいつに「(宮崎駿と)同じ職業を目指すのはやめなさい!」って言ったらしい。でも、俺は聞いてない。俺が、聞いてたら、あいつにちゃんと絵の勉強をさせた。

宮崎吾朗監督2作目「コクリコ坂から

 宮崎吾朗2作目、「コクリコ坂から」は、宮崎駿が夏休みに過ごしていた信州の山小屋へ遊びに来た押井守庵野秀明と、どうやったら少女マンガを映画にできるか、議論していた時の作品らしい。様々な企画が立ち上がり、没となる中、「それなら、コクリコ坂からをやろう!」と宮崎駿が言い出し、自身が責任を持ち脚本を書き上げた。当時のジブリは、監督を若手に任せるが、企画の部分で宮崎駿高畑勲鈴木敏夫が綿密に練るという監督中心主義ではなく企画中心主義で、後進を育てようとしていたらしい。
 NHKの密着取材で、自身が書いた脚本がどう映画になっていくのか心配する宮崎駿の姿がむちゃくちゃ面白い。

気になるから、金平糖をスタッフと吾朗に配る

 宮崎駿は制作現場をうろちょろうろちょろし続け、差し入れにおいてあった金平糖をスタッフ全員、そして吾朗に配るというわけのわからないかわいい行動に出る。

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吾朗に金平糖を分ける宮崎駿
宮崎駿に見られないように絵コンテを隠して帰る吾朗
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絵コンテを隠す吾朗
我慢できずに自分が描くと言い出す宮崎駿
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隠していた絵コンテを見つけた宮崎駿

 宮崎駿は、隠していた絵コンテをちらっと見つけて、「そんな魂のこもってない絵をかいてもしょうがないよ…」と言い出す。面白いのは、吾朗とスタッフへ、最大限配慮し、怒鳴ったりせずに、ものすごく恐る恐るアドバイスをしているところ(笑)うろうろしながら、我慢できずに吾朗のもとへいく宮崎駿

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吾朗に設計図をくれとお願いする宮崎駿

宮崎駿:ちょっと監督さま。台所の配置図をくれない?
吾朗:・・・なんで?
宮崎駿:何か絵を描く時に何も関係なしに描くわけにはいかないだろう?
吾朗:コクリコ荘描くの?
宮崎駿コクリコ荘の玄関て門の辺りとか。そういうの(俺が描いたの)要らないの?門とか?(俺が描いたの)
吾朗:・・・・・
宮崎駿:絵コンテを変えろって言うつもりはないから、抵触しないようにしてやってるけど、さっきの外した絵を見たら、ものすごく不安になったんだよ…

 そして、宮崎吾朗は、メインアニメーターを連れ、ジブリを飛び出し、山奥にこもって、作業を進めることとなる(笑)

宮崎駿のライバルであり、もう一人の息子(弟子)、庵野秀明との全エピソードはこちらから
fc0373.hatenablog.com
宮崎駿手塚治虫の知られざる関係はこちらから
fc0373.hatenablog.com