かつてウルトラマンになり、「シン・ウルトラマン」をつくるに至った男 庵野秀明

 かつて、自主映画でなぜか顔出しでウルトラマンを演じ、「シン・ウルトラマン」の総監督となった男、庵野秀明のウルトラマン愛についてまとめてみた。

ウルトラマンになった男、庵野秀明

 庵野秀明は、大阪芸術大学学生時代に、後のガイナックス創業メンバー岡田斗司夫や山賀博之、赤井孝美らとともに自主映画をつくっていた。その中で、傑作と名高いのが、総監督 庵野秀明・ウルトラマン役庵野秀明の「帰ってきたウルトラマン」である。


 アマチュアでは考えられない特撮技術を駆使して、怪獣が現れ核兵器を使うしかないという人間ドラマを綿密に描いた後、最後の5分間で、顔出しの庵野ウルトラマンが登場するのだ。当時の観客は爆笑するも、感動してしまうという謎の感情を味わったようだ。
 岡田斗司夫いわく、ウルトラマンといえば、変身前のハヤタ隊員を演じたいという人は多かったが、顔出しで、ウルトラマン自体になりたいといった人は庵野秀明が初めてだったそうだ(笑)

庵野が語るウルトラマン愛

 庵野秀明が館長をつとめた特撮博物館のトークショーで、ウルトラマンへの愛をこう語っている。

ー好きな特撮作品は?
庵野:僕は圧倒的にウルトラマン。あの衝撃は今も残っている。当時家の白黒テレビにいきなりあんな巨人が現れて、怪獣や宇宙人を倒して去って行くあのビジュアルのすごさ!! いやーーーーーすごいですよね。すごいんですよ!! 後に雑誌でウルトラマンを見て、銀色に赤なんだということを発見して。銀色に赤!!!!!!!!!!!!(と今も興奮を抑え切れない様子の庵野監督)(庵野秀明が語り尽せない「特撮」への愛 2012年ITmediaより)

 プライム・ビデオで配信されている「庵野秀明ー松本人志ー対談」で、庵野はウルトラマンに感じる魅力を語り倒し、松本人志を笑わせていた。

庵野:ゴモラで初めてウルトラマンが敗れる。あの回が凄い好き。
松本:ああ!
庵野:やられ方が。もうエロスなんですよ。凄くいいやられ方なんですよ。倒れてる時の構図そのものがしびれる。
松本:ああ…(プライム・ビデオ「庵野秀明ー松本人志ー対談」より)

庵野:ゴモラが逃げる時に、スペシウムを打とうとしてる時のウルトラマンが素晴らしいんです!!!あと、ヒドラの時に、頭を一回バンとやられて、くらくらっとなって、ばたんと倒れる時のウルトラマンがすっごいいいんですよ!!!(プライム・ビデオ「庵野秀明ー松本人志ー対談」より)

庵野:ウルトラマンのエピソードで好きなのは、ザラブ星人です。にせウルトラマンも出てきて、ザラブ星人の設定そのものが凄い好きで。人類を滅ぼす理由がないんですよ。仕事で来てるんですよ。なんでそんなひどいことをするんだ!ってハヤタ隊員が聞くと「仕事だから」って。仕事で人を滅ぼしに来るんだって、ぼく子どもの時に凄い衝撃で。
松本:はははは!(笑)
庵野:こういう仕事をしている宇宙人がいるんだ!これはいい!と思って。(プライム・ビデオ「庵野秀明ー松本人志ー対談」より)

「エヴァンゲリオン」や「シン・ゴジラ」への影響

 東京現代美術館にて特別展『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』で、ジブリ鈴木敏夫がつけたキャッチコピーは、「エヴァの原点は、ウルトラマンと巨神兵。」

 庵野は、このキャッチコピーは鈴木の思い込みだと言いながら、半分以上は当たっているとも言っている。
 ウルトラマンの演出をしていた実相寺昭雄監督の手前にものを置き、人間をとらえるアングルやシンメトリーな構図などに「エヴァンゲリオン」シリーズから、「シン・ゴジラ」まで、庵野は非常に影響を受けている。

――ご自身の作品に『ウルトラマン』を引用したりということはありますか?『エヴァンゲリオン』へのウルトラマンからの影響を指摘する意見もありますが......。

庵野:意識して引用したことはないんですよ。しかし『ウルトラマン』がフォーマットとして完璧なので、面白いものを作ろうとすると、意識するしないに関わらずあれになってしまうというのはありますね。アニメーターに発注する時に「ロボットじゃなく、人みたいな動きをする巨大なもの」と言っても、「それはどういうものなんですか?」と聞かれてしまうわけで、共通言語として「ウルトラマンみたいなもの」という言い方をしたことはあります。『エヴァ』の第壱話を見た友人から「あれってウルトラマンがロボットの格好をしているものだよな?」と言われるまで、自分自身でも気が付いていなかったんです(『ウルトラマン』への思いを語る トレンドニュース 2016年7月8日より)

庵野が、「シン・ウルトラマン」で描きたいもの

 庵野はかつてインタビューで、「ウルトラマン」を自分で撮ってみたい想いはあるが、「ウルトラマン」という作品がそもそも完成されすぎていて、非常に難しいと語っていた。
 そんな、庵野が目をつけたのが、ウルトラマンのデザインの元となった成田亨の「真実と正義と美の化身」という油彩画である。

真実と正義と美の化身

 庵野は、「シン・ウルトラマン」公式サイトで、デザインコンセプトについてこう語っている。

成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』を観た瞬間に感じた「この美しさを何とか映像に出来ないか」という想いが、今作のデザインコンセプトの原点でした。

我々が『ウルトラマン』というエポックな作品を今一度現代で描く際に、ウルトラマン自身の姿をどう描くのか。
その問題の答えは、自ずと決まっていました。
それは、成田亨氏の目指した本来の姿を描く。現在のCGでしか描けない、成田氏が望んでいたテイストの再現を目指す事です。
世界観を現代に再構築する事は挑戦出来てもあの姿を改める必要を感じ得ず、成田亨・佐々木明両氏の創作したオリジナルへの回帰しか、我々の求めるデザインコンセプトを見出せませんでした。(「庵野秀明コメント」シン・ウルトラマン公式サイトより)

 成田亨の長男、成田浬氏は、「シン・ウルトラマン」の企画にあたって、庵野秀明が訪れ、「真実と正義と美の化身」を映画にしたいと語った時の驚きと喜びをこう語っている。

昨年の初春、母と私のもとへ庵野秀明さんが来訪され「『真実と正義と美の化身』を映画にしたい」と仰っていただいた時のことは忘れません。耳を疑うほどに嬉しかったのです。

父、成田亨は、自身が試行錯誤しながら生み出した「ウルトラマン」を、 生涯を通して深く愛し、誇りに思っておりました。

同時に、その「ウルトラマン」を生み出した自身の名前がクレジットから消され、デザインが変質され、商業的に利用され続ける人間社会に深い悲しみと絶望を抱いておりました。その心を正直に発した事で、誤解や誹謗中傷も受けました。

父は悲しみが癒されることなく2002年に他界しましたが、その背中を通して多くを感じながら育てられた私は、父を誇りに思い、時に哀れに思い、そして心から尊敬しています。

生前の父の言葉を思い出します。「本物は残る、本物であれ」

『真実と正義と美の化身』は、芸術家として生きた当時の父の全てが注ぎ込まれた油彩画です。その絵画が、当時まだ子どもとしてウルトラマンを見ておられた庵野さんの感性に50 年以上の時を経て触れ、才能を発揮し続ける庵野さんの稀有な感性と交わり、「シン・ウルトラマン」としてどの様な姿でスクリーンに蘇るのか、期待に胸が膨れ、熱くなっております。

昭和の子どもが心踊らせた「ウルトラマン」が、令和の子どもたちに「シン・ウルトラマン」として蘇る。子ども達の心に残る忘れられない映画の誕生を心待ちにしております。(成田浬 コメント シン・ウルトラマン公式サイトより)

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