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【考察】宮崎駿が語る「千と千尋の神隠し」の真のテーマとは

 宮崎駿が語る「千と千尋の神隠し」の真のテーマや、物語のモチーフとなったネタ、裏話をまとめてみた。

映画の主題(テーマ)に関して

言葉は力である

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 千尋が迷い込んだ世界では、言葉を発すると取り返しのつかない重さをもたせたと宮崎は言う。湯屋では、「いやだ」「帰りたい」と口にすると、魔女は千尋を放り出し、行くあてもないまま消滅するか、ニワトリにされ喰われるまで卵を生み続けるという結末になるという。宮崎は言葉に重みを持たせた世界を描いた理由をこう語っている。

宮崎:今日、言葉はかぎりなく軽く、どうとでも言えるアブクのようなものと受け取られているが、それは現実がうつろになっている反映にすぎない。言葉は力であることは、今も真実である。力のない空虚な言葉が、無意味にあふれているだけなのだ。(「折り返し点 1997~2008」より)

悪を滅ぼすのではなく、生きる力を獲得する

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 宮崎は、かこわれ、守られ、遠ざけられ、生きることがぼんやりとしか感じられない日常の中で、子どもが危機に直面したときに、本人が知らなかった適応力や忍耐力で生命を発揮することを描きたかったという。
 千尋が主人公である理由を宮崎はこう語る。

宮崎:ただパニクって「ウソーッ」としゃがみこむ人間がほとんどかもしれないが、そういう人々は千尋の出会った状況下では、すぐ消されるか食べられるかしてしまうだろう。千尋が主人公である資格は、実は喰らい尽くされない力にあるといえる。決して、美少女であったり、類まれな心の持ち主だから主人公になるのではない。その点が、この作品の特徴であり、だからまた、十歳の女の子達のための映画でもあり得るのである。(「折り返し点 1997~2008」より)

千尋の成長物語ではない

 宮崎は、製作報告会見で本作は千尋の成長物語ではないと明言している。その真意は、「折り返し点 1997~2008」で「成長すれば何でもいいと思っている最近の映画の考えを引っくり返したかった」と語られている。

宮崎:最近の映画から成長神話というようなものを感じるんですけど、そのほとんどは成長すればなんでもいいと思っている印象を受けるんです。だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、自分をコントロールすることが前より少しできるようになったくらいでー中略ー成長と恋愛があれば良い映画だっていうくだらない考えを、ひっくり返したかったんですね。(「折り返し点 1997~2008」より)

なぜ千尋の親はクズなのか

 宮崎は、「魔女の宅急便」のようなお父さん、お母さんのような優しい人もいれば、本作のような人もいると、わざと悪意を持って描いたわけではないといいながら、こう語っている。

宮崎:「はやくしなさい」の連呼とかフレンドリーにご機嫌をとる両親の下では、子供は自分の力を発揮できません。「親はなくても子は育つ」です。「親があっても子は育つ」という人もいますが・・・。皮肉をこめて豚にしたんじゃありません。本当に豚になっていましたからね。バブルの時の多くの人や、その後も。今もいるじゃにですか。ブランド豚やレアものの豚が。

ー豚になってしまった千尋の両親たちは、自分たちが豚になっていたことを覚えているのでしょうか。

宮崎:覚えてないですよ。不景気だ、エサ箱が足りないって今もわめきつづけているじゃないですか。(「折り返し点 1997~2008」より)

湯婆婆と銭婆婆は同一人物

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 人は誰しも居場所によって人格が分裂して生きていることを、子どもたちも違和感なく受け取ってくれたようでほっとしたと宮崎は語っている。

宮崎:説明は全部すっ飛ばしました。なんで湯婆婆と銭婆が同一人物なのかとかね。ぼくなんかもそうですけど、ジブリにいるときと、家にいるとき、地域にいるときの自分が全然違うんです。そういう分裂の中に生きていることも確かなんです。これを子どもたちがどういうふうに受け取ってくれるのかなと思ったら、違和感として感じないで受け取ってくれたので、ぼくは本当にほっとしました。(「折り返し点 1997~2008」より)

湯婆婆のモデルは、プロデューサーの鈴木敏夫

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 宮崎は、湯婆婆の頭の大きさは自身と似ているが、鈴木敏夫のような人物であるとスタッフに説明したのだという。初めて来た子に「お前、なんだ?」というわけでもなく、無視するでもなく、気難しくみえるけれど、優しい人でもあると宮崎は語っている。(「風の帰る場所」での発言)

湯屋など世界観のモデル

神へお湯を奉納する霜月祭り

霜月祭りとは:太陽の衰弱により自然も衰弱すると考えられていた霜月(11月)に神様にお湯を奉納し、湯を浴びていただくことで穢れを祓い、清らかな魂で生まれ変わっていただき、人間もともに「生命力の再生」を願う神事。

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霜月祭り 水の王
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霜月祭り 村内の神々


 宮崎は、「霜月祭り」含め日本の民族的空間、物語、伝承、行事、意匠、神ごとから呪術に至るまで伝統的な意匠がどれほどユニークで面白いかは、現代人に知られていないだけと考え、物語にモザイク状に組み込んだという。

宮崎:民話風のチンマリした世界に、伝統的なものをすべて詰め込むのは、いかにも貧弱な発想といわねばならない。子供達はハイテクにかこまれ、うすっぺらな工業製品の中でますます根を失っている。私達がどれほど豊かな伝統を持っているか、伝えなければならない。(「折り返し点 1997~2008」より)

宮崎:伝統的な意匠を、現代に通じる物語に組み込み、色あざやかなモザイクの一片としてはめ込むことで、映画の世界は新鮮な説得力を獲得するのだと思う。それは同時に、私達がこの島国の住人だということを改めて認識することなのである。(「折り返し点 1997~2008」より)

現代の風俗産業

 湯屋は、現代の風俗産業のメタファーであることは、宮崎やプロデューサー鈴木敏夫の発言から明らかである。
 宮崎は、完成記者会見でずばりの発言をしている。

ー湯屋には大浴場がありませんでしたが、その理由は?
宮崎:そりゃあ、いろいろいかがわしいことをするからでしょうね(笑)(「折り返し点 1997~2008」より)

 プロデューサーの鈴木敏夫は、宮崎が風俗産業を映画のモチーフとした真意について、こう語っている。

キャバクラへ働きに来る女の子たちは、もともと引っ込み思案で、人とのコミュニケーションがうまくできない子も多い。ところが、必要に迫られて、一生懸命いろんなお客さんと会話をするうちにだんだん元気になっていくー。その話をヒントにして、宮さんは湯屋をキャバクラに見立てたストーリーを作ったというのです。千尋はそこでカオナシをはじめいろんな神様の接客をするうちに元気を取り戻していった。(「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」より)

電車シーンは、「銀河鉄道の夜」のオマージュ

千尋はハクを助けるため、ハクが盗んだ銭婆の魔女の契約印を返して銭婆にハクの命を救ってもらうようにお願いに行く。

「とにかく六つ目だ。」(釜爺)
「六つ目ね。」(千尋)
「間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。それでも行くか千?」(釜爺)
「うん、帰りは線路を歩いてくるからいい。」(千尋)

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 この電車シーンは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のイメージを再現したかったと宮崎は語っている。

宮崎:僕はずっと『銀河鉄道の夜』っていうのは、成田から飛行機で飛び立つときに滑走路についてるいろんな赤とか青とか緑の光がワーッと飛行機が動くとゆるやかに渦巻くのを見て『あっ、これだ』と思ってたんですよ。『銀河鉄道の夜』っていうのは、実はあれは宇宙を描くんじゃなくて、なんか平面がなきゃいけない世界だと思ってたもんですから。だから『千と千尋』で今度こそそれができると思ってワクワクしてたんだけど、時間的に入らないんですよね、全然。無念って感じでね。カットバックにして、無理やり入れようと思えば入れられるけど、そうするとやっぱりちょっと嫌なカットバックになるなあと思って(笑)
ーですけど、それがなかったからこそ、あの電車のシーンは宮崎さんの『銀河鉄道の夜』になったんじゃないですか。
宮崎:いやいや(笑)(「折り返し点 1997~2008」より)

 ちなみに宮崎駿の盟友、押井守監督は、本作の電車シーンを手放しで絶賛している。

押井:電車に乗って三途の川を渡ったわけじゃん?あれはすごい表現だよ。あそこは「火垂るの墓」の夜の市電のシーンと同じぐらい迫力があった。そういう意味でいえば死の世界の迫力があったよね。「もののけ姫」とはえらい違いだよ。(「勝つために戦え!監督稼業めった斬り」)

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ラストシーンは「クラバート」のオマージュ

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 千尋は元の世界に戻る時ために、湯婆婆はこの豚の集団の中から探しだすように千尋に言いますが、千尋はこの中に両親はいないと答え、見事に正解した。
 このシーンは、宮崎駿が感銘を受けたと公言している「クラバート」のラストのオマージュである。

クラバートのあらすじ:少年3人組で村から村への浮浪生活をしていたクラバートは、ある時から奇妙な夢を見るようになる。「シュヴァルツコルムの水車場に来い。お前の損にはならぬだろう!」という声と止まり木に止まった11羽のカラスの夢。
その声に従って水車場の見習となったクラバートは、昼は水車場の職人として働き、金曜の夜には12羽目のカラスとなって、親方から魔法を習うことになる。

 このあらすじを見ると、「千と千尋の神隠し」がこのストーリーを下敷きにしていることがよくわかる。
 「クラバート」のラストシーンでは、クラバートに恋をしている娘が、親方へ「私の大事な人を自由にしてください」と申し出る。親方は、12人の職人をカラスに変身させ、さらに娘に目隠しをして、「どれがおまえの大事なクラバートかわかったら連れていっていい」と答える。目隠しをした娘はカラスの前を3度行き来して、クラバートを見事に見つけ出しました。
 どうやって自分を探しあてることができたのか、クラバートが問いかけると、娘は「クラバートが私のことを思って心配で不安になっていることを感じ取った」と答える。娘の愛が複雑な世界に打ち勝ったというラストである。

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