成田悠輔の失踪した父親とは一体何者なのか?母親・家族のエピソードまとめ

 
成田の父は借金が雪だるま式に膨らんで突如失踪。10代のころに成田悠輔は家の自己破産手続きを行った。そんな壮絶な家庭環境で育ったのだ。

だが、成田の天才的な頭脳、考え方は父から大きな影響を受けているという。

成田悠輔の父親、母親とは一体どんな人なのか??そして連続起業家である弟の修造とは?家族の素性がわかるエピソードをまとめてみた。
 

成田悠輔の父親とは

成田悠輔、そして弟の修造のメディアでの発言から父親の素性は下記のように推察される。

●遊びまわって借金をつくるニート

●成田悠輔が高校生の頃に一家を置いて失踪

●見た目は怪しげな哲学者風

●成田悠輔の思想に大きな影響を与えた

父が失踪するまでのエピソード

ここからは、成田悠輔の父が一家を置いて失踪するまでのエピソードについてまとめてみる。

●遊びまわって借金をつくるニートだった父親

成田はニートだった父親のせいで、壮絶な幼少期を過ごした。

この経験は、成田自身の中でもトラウマとなっているようで、記憶をシャットアウトしているようだ。

成田は林修の『日曜日の初耳学』に出演時、幼少期の微かな記憶をたよりにこう語っている。

成田:結構、カオスな子ども時代を過ごして。父親とかも、あんまり働いてないみたいな感じで、遊び回ったり借金つくってくる感じの人だったんですよ。だから、確か母親だけが働いてるみたいな感じで家計が苦しかったんですよね。(2022年4月17日 『日曜日の初耳学』より)

●父親が自転車で借金を借りに行く後ろに座っていた

成田:当時は、いろんな駅の前に借金を返すためのブースがあったんですよね。あるところで借金をして、別のブースで借金を返す。やってはいけないことをやるために、ママチャリで駅の周りをぐるぐる走る。その(自転車の)後ろに乗っかっていた記憶があります。(2022年11月14日〜2022年11月19日ギャンブル狂で酒好きの父と、借金返済に奔走する母の姿 成田悠輔氏が振り返る、「ワンルームに家族4人」で暮らした幼少期 - ログミーBiz

●一家4人で一人暮らし用の部屋に住む

父は一時的に働くことはあったものの、すぐに辞めて麻雀に行ってしまうということを繰り返していたという。

母親は宝石関係の会社でサラリーマンをして父が働かない分まで家計を支えていたそうだ。

家計に余裕はなく、一家4人で一人暮らし用の部屋に住んでいた。狭い家なので、父と母の喧嘩も真横で聞かされていたのだという。

成田:弟がいるんですけど、一人暮らしの部屋に4人ぐらいで住んでたっていう記憶があるんですよね。夜中は母親が怒鳴りまくたり、泣き叫んだりしてるようなのを1m真横で聞いてるみたいな、なんでこんな生活とか人生とかおくってるんだろうなみたいなところがある子ども時代だった気がしますね。(2022年4月17日 『日曜日の初耳学』より)

●父が定職に就き、成田家の全盛期が訪れる

そんなぐうたらな父だったが、悠輔と修造2人の子どもを食べさせるために、定職について働き始めた時期がある。

父も母もフルタイムで働いたために、プレハブ小屋から抜け出して、35年ローンで新居を購入することができた。

そんな「成田家全盛期」を修造はこう振り返る。

修造:ゴキブリに起こされることもなくなり、学習塾にも通える。贅沢はできなくても貧しくもなく、人並みの生活が送れるようになったのです。(『逆張り思考』成田修造)

その後、父が勤めていた教育系のベンチャー企業は時代の波に乗り株式上場を果たす。

この株式上場が、成田家にもう一度悪夢が訪れるきっかけとなった。

上場企業勤務となり、クレジットカードの与信枠が上がった父親がまた散財を始めたのだ。

借金をして、借金を返す。雪だるま式に借金はふくれ上がっていったという。

●高校生時代、父親が失踪して家庭崩壊

成田悠輔が高校生の頃、借金まみれとなった父親が突然『新しい人生を始めたい』と失踪してしまったという。

成田:僕が高校を卒業するぐらいの時に、確か父親が失踪するんですよ。蒸発しちゃったんですね。なんか、「新しい人生を」みたいなことを一言、二言、言い残して突然消えちゃうっていう。(2022年4月17日 『日曜日の初耳学』より)

家族にとって、まさに青天の霹靂だったという。


●失踪した父を見つけ出すも、逆ギレされる

母と悠輔、修造は、父の麻布高校時代の同級生などに連絡をとって、蒸発した父を懸命に捜索した。

捜索の結果、父親は麻布中・高時代の同級生からお金を借りて、マンスリーマンションで、新しいパートナーの女性と住んでいたという。

マンションを訪れると、父はこう逆ギレした。

なんでこんなところに来たんだ、バカヤロー(『逆張り思考』成田修造)


母と成田兄弟は父親のことを諦めて、号泣しながら車で自宅に戻ったという。

●母は精神的なストレスで脳出血、3ヶ月意識不明に

ニートで借金まみれだったが、哲学者っぽい父に惚れて依存していた母親は、父の失踪後、精神的におかしくなった。

ストレスがたたったのか、父の失踪から3年が経った時、母はくも膜下出血で3ヶ月ほど意識不明の状態になってしまったのだ。

成田:母親は、父親がいなくなって、結構精神的に参って、で…しばらくたって今度は母親がくも膜下出血になって、2~3ヶ月意識不明で…病院に入院してたんですかね。(2022年4月17日 『日曜日の初耳学』より)

母は一命をとりとめたものの、体が自由には動かなくなり障害者となった。

●自己破産

父が失踪、障害者となった母も以前のようにフルタイムで働くことができない。

成田家には、父が残した自宅の30年ローンの借金、数千万円が残った。

高校生だった成田悠輔は、家の自己破産手続きを申請。

成田家は、生活保護を受けながら生きることとなる。

家庭が一度崩壊した成田悠輔はその後いかにしてイェール大学助教まで上り詰めたのか?こちらの記事もご覧ください。
fc0373.hatenablog.com

成田悠輔の父の素性

●圧倒的な学歴

成田悠輔の父は、麻布中学~早稲田大学という超高学歴のインテリとして育った。

父の学歴
・中学ー麻布学園 麻布中学校(偏差値72・全国偏差値ランキング19位)
・高校-麻布学園 麻布高校(偏差値75・全国偏差値ランキング11位)
・大学-早稲田大学中退(偏差値66・全国偏差値ランキング10位)

だが、麻布中学~高校時代は、友人から「成田だけは危険」と言われるような特殊な人物だったよう。

●麻布中学時代から奇人・変人と呼ばれる

修造は麻布時代の父の友人から聞いたエピソードをこう語っている。

修造:当時の麻布のメンバーとかから聞くと、相当なんか当時は尖ってて。その麻布の12歳から18歳の時のその時の父はかなり鋭かったというか。

高橋:どんな感じだった?

修造:いや、もう本当にやばいやつ。世の中に対しての捉え方とか、その素行とかも含めてかなりの奇人変人。

高橋:ちょっと変わった感じ?

修造:ちょっと違った目線で見てるし、学校も行かないし、本当そういう感じだったって言ってたんですよね。だから本当に社会不適合者そのものだったんでしょうね。頭は良かったんでしょうけど。彼は特殊だったと思いますよ。相当頭よかった。DNA的には本当にひろゆきさんが言ってたとおり。かなりモノは良かったんじゃないすか?生かしきれなかった。(2022年1月18日経テレ東大学RE:HACK【ひろゆきvs成田悠輔の弟】衝撃!天才・成田兄弟の育て方【14歳から父が行方不明】)

父の変人エピソードは。「眠いので学校には行かない」「人と食事をしていても、突然消える」など、成田悠輔の独特な行動エピソードと似たところがある。成田悠輔の変人エピソードまとめ記事はこちらから
fc0373.hatenablog.com

身長180センチ

父は、成田悠輔、修造と同じく高身長で180センチ以上ある大柄な体格だった。


●小林秀雄に憧れ、思想家を目指していた

日本の文芸評論の確立者と言われる思想家の小林秀雄を尊敬していたという成田の父。

小林秀雄が亡くなった時は、涙を流したという。

成田修造は、父が泣いたのは思想家を目指していたからだと発言している。

高橋:お父さんが小林秀雄亡くなって、涙したっていうのはそもそもなんでだったんですか?

修造:思想家としてそもそも生きているということに憧れていたんじゃないですか?

高橋:思想家みたいな感じになりたかった?

修造:そうだと思うんですよ。作家なのか。あれで食えたら最高じゃないですか!?彼は食えなかったんでしょうね。(2022年1月18日経テレ東大学RE:HACK【ひろゆきvs成田悠輔の弟】衝撃!天才・成田兄弟の育て方【14歳から父が行方不明】)

●天才思想家 浅田彰をライバル視

 80年代のニューアカデミズムの旗手であり、当時20代で大ベストセラー「構造と力」を発表した思想家、浅田彰を父はライバル視していたのだという。

修造:浅田彰さんが出てきた時、父は同年代。彼が「構造と力」って本で大ベストセラーになったんですね?構造主義の本で。それが確か20何歳で本を出した。その時に「ああ、俺の強敵が現れたな」みたいなこと言ってたらしいんですよ。

高橋:思想家だったんだ!?

修造:たぶん、そうだと思います。そういうところがあったんだと思う。(2022年1月18日経テレ東大学RE:HACK【ひろゆきvs成田悠輔の弟】衝撃!天才・成田兄弟の育て方【14歳から父が行方不明】)

このエピソードからも父が思想家を本気で目指していたことがよくわかる。


●父親が与えた成田悠輔への影響

そんな身勝手な父親だが、成田悠輔の思想に与えた影響は大きかったようだ。

成田悠輔に影響を与えた「世界は正しくない」という思想

父は、成田悠輔、修造に「メディアで語られていること」を簡単に信じるな、と再三教育してきたという。

修造:今、起きていることに対しては非常にネガティブだった印象があります。今の世の中を正しいと思っていないという感じ。それを凄い僕は感じたんですよ。メディアで言われていることは、すべて真実ではない。メディア側のロジックであらゆるものを報道していて、それを真に受けちゃいかんとテレビを見てても間に受けてるお前は馬鹿だと結構言ってた。(2022年1月18日経テレ東大学RE:HACK【ひろゆきvs成田悠輔の弟】衝撃!天才・成田兄弟の育て方【14歳から父が行方不明】)

『若者は選挙に行っても意味がない』など主張する成田悠輔の思想の根本は、

この父の『世界は正しくない』という考え方にあることがよくわかります。

弟、修造は、成田悠輔は父の影響を受けながら、より社会に適合し、経済的にお金も稼げる形で生きていると考えているという。

父の独特の思想を受け継いだ成田悠輔の過激発言・思想まとめはこちらから
fc0373.hatenablog.com

●父は今の世の中ならインフルエンサーになっていた人

修造は、父の全盛期にTwitterなどSNSがあったらインフルエンサーになれていただろうと言う。
 

修造:いろんな本とかいろんな考え方を知っている分、マスに起きていることに対して、すごく批判的な発想とか思想があったはずです。だからそれが今の兄のああいう目線とか視点につながっていると思うと合点がいく。

高橋:そこ凄い似てますよね!(笑)

修造:似ていると思います。ある意味似ているんですよ。でも彼の(成田悠輔)方が、より社会に適合してるし、より社会受けがいいし、当然それを経済的にもつなげてる。要はお金も稼げてる。そういう風にいったんで、突き抜けましたけど父親は突き抜ける前に終わっちゃった。

高橋:時代があるかもしれないですけどね。。

修造:それはあると思います。今のTwitterがあったらヤバかったかもしれない。

高橋:そうですよ。すげー15万人くらいフォロワーいってた可能性ある!お父さん(笑)(2022年1月18日経テレ東大学RE:HACK【ひろゆきvs成田悠輔の弟】衝撃!天才・成田兄弟の育て方【14歳から父が行方不明】)

成田悠輔の母とは

成田悠輔、そして弟の修造のメディアでの発言から母親の素性は下記のように推察される。

●父親(旦那)との関係性

●父親(旦那)の失踪でショックを受けくも膜下出血に

●くも膜下出血の後遺症で半身不随の障害者となる

●成田悠輔の学歴に大きな影響を与えた


父親(旦那)とは共依存の関係

借金をつくる父に振り回されながらも、母はなぜ離婚を切り出さなかったのか?

成田修造は、父と母が共依存の関係にあったのではないか?と考えている。

修造:共依存とは、「自分と相手が過剰に依存し合い、その関係性にとらわれている状態」のこと。父がギャンブルとアルコールに依存する一方で、母は父に依存して、精神的に寄りかかっていたのです。「愛情があったから別れなかった」というより、母は父に「執着していた」のでしょう。(『逆張り思考 戦わずに圧倒的に勝つ人生戦略』成田 修造著)

父親(旦那)の失踪でショックを受けくも膜下出血、障害者に

前述した父親(旦那)の失踪にショックを受けた母は、くも膜下出血で倒れ、半身不随の障害者となった。

当時、バスケットボール部の夏合宿から帰り、爆睡していた修造は、兄、悠輔から叩き起こされた。

悠輔:おい、起きろ!やばい、やばい!(成田悠輔『逆張り思考』)

ソファで寝ていた母は口から泡を拭き、気を失っていた。

脳の中の動脈瘤が破裂したのだ。

医師からはもう一度血管が破裂する可能性が高く、余命72時間を告げられたという。

涙を流しながら待つことしかできない成田兄弟。

奇跡的に一命をとりとめた母には、半身不随の障害が残った。


母の代わりに家事を支えた弟の修造

その後、悠輔は、東京大学の学部生となり、あまり家にも帰ってこなくなる。

修造は、高校に通いながら家事全般をこなしていたという。

食費にあてられるのは家族3人で、たった月3万円。

バスケ部の練習終わりに、修造はそのままスーパーに行って食材を買って帰り、毎日家計を管理しながら自炊をしていた。

修造は、悲観的になりすぎず、どうやったら3万円で豊かに楽しく暮らせるか?楽しみながら家事をこなしていたという。

成田:お金をかけなくても、食卓を豊かにすることはできます。「ひもじい」「貧しい」を「つらい」と取るか「楽しい」と取るかは、自分次第。ぼくは「楽しい」と考えることにしました。家に置いてあった料理本をはじめて開き、「こんな調理法があるのか!」「こんな食べ方もあるのか!」とワクワクしたこともあります(『逆張り思考 戦わずに圧倒的に勝つ人生戦略』成田 修造著)

母が成田のキャリアに与えた影響

そんな母だが、成田のキャリアに圧倒的な影響を与えている。

世間に背を向けて、多数派と異なる視点を持つ父と違い「長いものには巻かれろ」という思想だった母は、半ば強引に悠輔に麻布中学の受験、東京大学の受験をさせたのだ。

母が成田の思想に与えた影響

借金まみれで働かない父親に依存気味だったために、心と身体を壊した母親、そんな家庭で育った成田は、人と関係性を深め過ぎないことの大事さを常に考えながら生きているようだ。

成田は、人と関係性を深め過ぎないことについて、こう語っている。

成田:僕はでも基本的にあんまりこう関係を深めすぎないことが大事だと思ってる人間で。なんか関係を煮詰めることで良いことが起きるってあんま無いなっていうのが自分の中の経験則としてあるんですね。

若新:なるほどね。いいことないもんね。

成田:だから家族みたいな関係も別に深める必要そんな無いんじゃないかと思ってて。なんか友達みたいな家族とか。時々同窓会で会う友達のような関係の夫婦とかっていうのはもっとあってもいいんじゃないかなっていう気はするんですよね。(ひろゆかないのYoutubeちゃんねる【成田悠輔×若新雄純×ひろゆき(チャットで見守り)×ひろゆかない】https://www.youtube.com/watch?v=WJTWMuyiy30&t=0s




とうとう出た!成田悠輔の初の著書! 22世紀に向けて、読むと社会の見え方が変わる唯一無二の一冊。断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは日本は何も変わらない。民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ゲームのルールを変えること、つまり革命であるーー。


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