僕は町山智浩の映画評が好きだ。2001年宇宙の旅もブレードランナーも町山さんのおかげで正しい理解を得る事ができたと思う。だが、彼の『崖の上のポニョ』評だけはあまり納得がいかない、というか、そんな指摘必要あるか??と思ってしまった。以下に宮台真司の批評と比較してみました。
Rhymester宇多丸さんのWEEKEND SHUFFLE、シネマハスラーより
何を考えてんだ、めっちゃくちゃ!!もうひどいです、親として怒ってる部分がかなりあるね!
⑴親が子供を乗せてものすごいスピードで車を運転する点や、魚を水に入れる所など教育上悪い、子供に見せたくない
⑵子供に対して、親の名を呼び捨てにさせている。理想的な家族を押し付けるな。宮崎駿は五郎にそんなこと許しているのか?
⑶あの洪水の責任は誰がとるのか。絶対人が死んでいる。人魚姫は人間になることによって声を失う、だがポニョは何も責任をとってない
⑷最後に老人ホームに向かう理由が無い、また、向かう途中で試練も無い。これではクライマックスにならない
これに対し、平成20年のサブカルを批評するラジオ番組で宮台真司は
あのね、ポニョを批判している人っているでしょ、真水にいれてるとか、そんなことどうでもいいんだよ!何まともに観てんだよ!
⑴宮崎駿はヒューマニストではなく、単に空間構成のダイナミズムに魅せられている人、つまり活劇作家。つじつまが合わなくても、怒濤のような活劇展開で結局、魅せてしまう。それが良いのだ
⑵例えば『千と千尋』もわけが分からない。くされ神が天に昇天する活劇的展開だけで面白い(宮崎哲弥)
⑶子供に間違った事が伝わるというなら、これはアニメだからね、と言えば良い。実際、僕の2歳の娘は踊って楽しんで観ていた、子供はヒューマニズムに感染するのではなく、ガラガラドンドン!!の活劇に感染するのだ
二人の見解の違いは実に単純で「めちゃくちゃで良いのか、ダメなのか」である。僕は宮台評に賛成だ。やはり自分も『崖の上のポニョ』を観ている時に、つじつまなど考えなかったし、とにかくアニメーションの動きを観ていればそれだけで良かった。
小学生の時に『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を観た時も、意味など全く分からなくても、面白かった。僕はそれで良いと思っている。
だから『子供に間違った事が伝わるというなら、これはアニメだからね、と言えば良い』これに尽きる。