世界を変えた天才数学者ジョン・フォン・ノイマンの凄さがわかるエピソードまとめ

原子爆弾やコンピュータの開発に関与して世界を変えたと言われる天才数学者ジョン・フォン・ノイマンの天才すぎるエピソードをまとめてみた。

ジョン・フォン・ノイマンとは

数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・ゲーム理論・気象学・心理学・政治学に影響を与えた20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、原子爆弾やコンピュータの開発、囚人のジレンマで知られるゲーム理論の構築への関与でも知られる。

歴史上最大の天才との呼び声が高く、天才ゆえの風変わりなエピソードが多い。

幼少期のエピソード

ジョン・フォン・ノイマンは1903年にハンガリーのブタペストにて3人兄弟の長男として生まれた。

ここからはノイマン幼少期の天才的でちょっとおかしなエピソードをまとめてみる。

六歳、父親と古典ギリシャ語で冗談を言い合った

ノイマンの父親マックスは古代ギリシャ、ローマの文芸や音楽だった。

マックスはノイマンにもギリシャ語、ラテン語の英才教育を施した。

ノイマンはのちに自慢げに語っている。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

祖父と8桁の計算をしあって答えが一致するとにっこりする

ノイマンは数学が大好きだった祖父カーンと、適当に思いついた8桁の数字を掛け算をするゲームをしていた。

カーンは暗算で、ノイマンは一生懸命紙に書いて計算した。

お互いの答えが一致すると、ニッコリ笑いあったのだという。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

パーティでは電話帳を利用して抜群の記憶力を披露

ノイマン家のパーティは、ノイマンが抜群の記憶力を披露する場でもあった。

お客さんが適当に開いた電話帳のページをまるごと暗記。

客がそのページの中から氏名を尋ねると、ノイマンはその氏名に対応する電話番号と住所を答えた。

逆に電話番号を尋ねると、ノイマンは氏名と住所を答えたという。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)


8歳『世界史』全44巻をドイツ語で読破し暗唱

8歳の頃、ノイマンは歴史に興味を持つようになる。

ノイマンは、ドイツの歴史家ウィルヘルム・オンケンの『世界史』全44巻をドイツ語で読破した。

とくにお気に入りだったのが南北戦争の章。

後にアメリカで南北戦争の古戦場を訪れた際、その章をそのまま暗唱してみせた。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)


ディケンズの『二都物語』を周囲が止めるまで延々と暗唱

ノイマンは『世界史』だけではなく、気に入ったあらゆるものを暗唱する癖がある。

これは、ノイマンが大学院を出てアメリカに移住した際のエピソードだが、暗唱ものなのでここで紹介する。

チャールズ・ディケンズの『二都物語』が話題になった頃、ノイマンは第一章を暗唱し始め、周囲が止めるまで延々と引用し続けたという。


プリンストン高等研究所の計算機科学者ハーマン・ゴールドスタインは、「これには驚愕した」と言葉を残している。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)


本を読みながらピアノの練習をするので上達しなかった

ノイマンの母マーガレットは、芸術が大好きだった。

ノイマンにもピアノを習わせるが失敗した。

彼は、譜面の後ろに数学や歴史の本を忍ばせて、読みながらピアノの方は適当に指を動かしただけだったのだ。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)


床屋にも『世界史』の本を持っていきたいとゴネる

母マーガレットがノイマンを床屋に連れて行く時は、必ず『世界史』の本を一冊持っていくと駄々をこねられたそうだ。

フェンシングが下手すぎて、コーチに匙を投げられる

太り始めたことを気にした父マックスは家族とともにフェンシングを習うことにした。

「プロフェッサー」と呼ばれるフェンシングの教授は、教えても教えても全く上達する気配のないノイマンを見て、呆気にとられた。

プロフェッサーは、とうとう家族の中でノイマンの指導だけ放棄することとなる。

この思い出からか、ノイマンは大人になってから『プロフェッサー』と呼ばれることを嫌がったのだという。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)


ギムナジウム時代(小学校~高校時代・1914ー1921)のエピソード

ノイマンは、1914年にはブダペストにあるルーテル・ギムナジウム「アウグスト信仰の福音学校」へ入学した。

ここからは、彼のギムナジウム(小学校~高校)時代の天才的なエピソードをまとめてみる。

異常に優秀なので10歳から17歳のクラスに飛び級

ギムナジウムの数学教師は、ノイマンの異常な数学の能力にすぐに気づいたという。

10歳のクラスでは簡単すぎると、11歳、12歳と上げたが追いつかず、

結局17歳の最上級クラスにいれた。

だが最上級クラスの勉強もノイマンには簡単すぎたという。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

生徒だが、教師に数学を教えていた

ギムナジウム内のどの教師もノイマンに教えることがなくなった。

逆にノイマンは、集合論や群論の定理について教師たちに教えることを始めたという。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

10歳で大学数学を始める

ノイマンに教えることがなくなった教師たちは、このままでは本人にとって時間の無駄だと感じた。

彼の両親に「大学レベルの数学を教えるべき」と進言して、ノイマンは大学教授に数学を教わることとなった。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

大学の数学者がノイマンの才能に驚愕して涙を流す

10歳のノイマンの教師となった数学者ガブリエル・セゲー。

セゲーは、試しにノイマンに大学レベルの問題を出してみると、あまりにも簡単に解いたのだという。

セゲーは、ノイマンの異常な才能に驚愕し感激して涙を流した。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

17歳で学術誌に掲載される生涯最初の論文を発表

その後ブタペスト大学のあらゆる数学研究者がノイマンを子どもではなく対等な関係ととらえ、一緒に研究に取り組むようになる。

17歳のノイ マンは、数学者フェケテと共著で生涯 最初の論文『 ある 最小多項式の 零点の位置について」を発表。学術誌に掲載された。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

試しに試験を受けると、大学を飛び越えて大学院に合格する

父マックスは、17歳のノイマンに試しにブタペスト大学大学院数学科の試験を受けることを許可。

すると彼は大学を飛び越えて、大学院に合格した。

ノイマンはベルリン大学応用化学科に入学すると同時に、ブタペスト大学大学院数学科に籍を置くこととなる。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

大学時代のエピソード(1921ー1926)

●天才なので3つの大学を掛け持ち

ブタペスト大学・大学院で数学を学んでいたノイマン。

だが父マックスは、数学では金が稼げないと思いベルリン大学とチューリッヒ工科大学をかけもたせ、当時トレンドだった化学工学を学ばせることとなった。


●実験中に数え切れないほどフラスコを割る

ピアノの練習をしながら世界史の本を読んでいたエピソードのように、ノイマンは実験中も別のことを考える癖があったと言う。

そのため数えきれないほどフラスコを割り、ノイマンが壊した実験器具の請求費総額は長いあいだ抜かれることがなかった。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)

●大学卒業と同時に大学院博士家庭を修了、博士論文も完成

大学時代も圧倒的な能力を発揮したノイマンは、大学卒業と同時に大学院博士家庭を修了、博士論文も完成させて、前代未聞の「学士・博士」となった。(『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎 著 からのエピソード)


第二次世界大戦時代のエピソード

爆縮型原爆の設計

ノイマンは原爆の威力を最大限にするためには、落下後の爆発ではなく上空でプルトニウムに点火してい爆発させる必要があるという理論を発見。

ノイマンはチームメンバーとともに、複雑な数値計算を半年にわたって行い爆縮型原爆を完成させた。

これが後に長崎に落とされたファットマンである。

●今生きている世界に責任を持つ必要はないという思想

原爆を生み出すマンハッタン計画に携わる科学者は、内心に強い罪悪感を抱いている人が多かった。

科学者リチャード・ファインマンは、ノーマンと散歩しながらこう諭されたと言う。

「フォン・ノイマンは、我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない、という興味深い考え方を教えてくれた。このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、僕は強固な『社会的無責任感』を持つようになった。それ以来、僕はとても幸福な男になった」—『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)』高橋昌一郎著

●原爆開発の罪の意識で平均4時間睡眠なのに、12時間眠り続けた

ノイマンは大学時代から睡眠時間は4時間という超ショートスリーパーだった。

1945年のある日、自宅に戻ったノイマンは食事もとらずに12時間眠り続けたという。

そして、急に起き上がり妻にこう叫んだと言う。

ノイマン:我々が今作っているのは怪物で、それは歴史を変える力を持っている!  ……それでも私は、やり遂げなければならない。軍事的な理由だけでもだが、科学者として科学的に可能だとわかっていることは、やり遂げなければならない。それがどんなに恐ろしいことだとしてもだ。これは始まりにすぎない—『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)』高橋昌一郎著

これは、ノイマンが手掛けていた爆縮設計が完了したころの出来事だと言う。

●原爆の投下先として皇居は強く反対したが、京都を薦めた

ノイマンは、戦後の占領統治までしっかりと見通していたため、皇居への原爆投下を強く反対したという。日本が命令系統を失ってしまいコントロール不可能になるからだ。

逆にノイマンは、京都への原爆投下を主張した。

日本人の戦争意欲を完全に喪失させるためには、歴史的・文化的価値が高い京都へ投下すべきだという理屈だ。

京都への投下は、軍部に反対されて却下となった。


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