岡田斗司夫がガイナックスを設立し、クーデターを起こされるまで

岡田斗司夫がガイナックスを設立し、クーデターを起こされ、会社を去るまでのエピソードを岡田の著書「遺言」での情報を中心にまとめてみた。

最強のアマチュア集団

 岡田斗司夫が大阪電気通信大学で、日本SF大会(DAICON3)の運営をしていた頃、山賀博之(王立宇宙軍 オネアミスの翼の監督)、庵野秀明、赤井孝美は大阪芸術大学で、SF研究会に所属し、アニメづくりを自分たちなりに取り組んでいた。岡田ら運営は、アマチュアなのに凄いやつらがいると噂を聞きつけ、庵野たちをDAICON3のオープニングアニメーションの制作に誘うことを決める。

アオイホノオ

 ここから、最強アマチュア集団「DAICON FILM」の伝説が始まる。岡田らがつくったDAICON3のオープニング作品はアマチュアのレベル感ではなく、マニアの間で大絶賛された。さらに、会場に来ていた手塚治虫が楽屋に訪れ激賞し、スタッフの勧誘まで始めたのだ。その後、制作した「愛國戰隊大日本」は、「風の谷のナウシカ」公開直後の宮崎駿が絶賛し、夢枕獏や、押井守に作らせようとした「アンカー」という作品をつくってくれ!!と直訴してきたのだという。ちなみに、宮崎を尊敬していた庵野は、「アンカー」の打ち合わせ後に、「あれは、できない」と岡田にもらしたのだという。

宮崎駿を尊敬している庵野くんも、その時に東京に遠征に行った一人だったんですけど、帰ってきて「どうだった?」って聞いたら「あれは駄目ですよ・・・・」とつぶやきました。「僕らには無理です。いや、世界で誰もできません。宮崎さんは(未来少年)コナンを実写でやりたがってます」って言うんです。宮崎駿を神のように慕っている庵野が言うんです。恐ろしくなって、逃げちゃいました。(岡田斗司夫「遺言」より)

ガイナックス設立

 岡田斗司夫は、大学卒業後、SFグッズのショップなどを手がけるゼネラルプロダクツを設立。庵野らのアマチュア作品へ出資しながら、会社経営をしていたのだという。しかし、ゼネラルプロダクツの一人の女性社員と結婚、子どもまでつくっていたものの、浮気したことが社内にばれ、大問題になったのだという。さらに岡田は、庵野が命をかけてつくっていた「帰ってきたウルトラマン」の制作現場でも、制作進行の遅れを理由に、庵野を解任。これもまた仲間から大顰蹙をかい、岡田は大阪に居場所がなくなった。その結果、プロになりたがっていた山賀とともに東京に行き設立したのが、ガイナックスである。

いきなりBANDAIから3億出資をとりつけた「王立宇宙軍 オネアミスの翼」

 そんな、庵野と山賀が、1年近く話しこんで妄想したのが、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の企画である。

庵野と山賀はバンダイへ企画をプレゼンしにいくと、一人の社員が味方になって応援してくれたのだという。それが、後のバンダイビジュアルの社長となる渡辺繁氏である。渡辺さんの助けで、役員プレゼンまでいき、まずはパイロットフィルムをつくってみたら?シナリオ開発費300万出してあげるよ?と話が進んでいったのだという。岡田は当時のことをこう語っている。

当時、渡辺さんが、悪だくみの顔をして語ったのが「ちょっとだからと、ちょっとずつ金を出したら、バンダイはね、引き返しがつかなくなりますよ~。こうやって二百万、三百万払ってると、いずれこの二百万、三百万をどうやって取り返すんだって話になる。取り返せない。じゃあ、しょうがない。もう一億出資しようって話に絶対なる」って言ったんです。(岡田斗司夫「遺言」より)

 こうして、アマチュア時代の制作費が最大で28万だったのに、いきなり3億6千万の出資をバンダイから取り付けることとなった。

 

起きたクーデター

 「トップをねらえ」の制作後、庵野は作品に関わってくれたあらゆるスタジオへ行き、制作中の作品の作業を恩返しのために手伝う旅に出た。岡田と山賀は、次の作品のアイデアを考えるために毎日会議ばかりしている。下のスタッフたちの頭によぎったのは、「この会社、アニメをまじめに作る気があるのか?」ということだったらしい。
 そんな中、クーデターを画策したのは、当時、副社長だった井上博明(かつて手塚プロダクションから岡田が引き抜いた)。

天才2人を引き抜いてガイナックスを解体させる

 井上は、岡田、山賀、庵野の3人の間で企画を考え、監督をしという流れがあるだけで、下の才能のある人間にまわってこない状況は、岡田に任せている限り改善するわけがないと考えた。
 そこで、天才的な才能のある貞本義行と前田真宏を引き抜きガイナックスを解体させることを考えた。


貞本義行・・・「新世紀エヴァンゲリオン」や「サマー・ウォーズ」のキャラクターデザインで知られる。当時、圧倒的画力で、どんなに上手いアニメーターもひれ伏したという。


前田真宏・・・「シン・ゴジラ」や、「マッドマックス2」のコンセプトデザインを手掛けた。「シン・エヴァンゲリオン」では、監督を務めた。(総監督は庵野秀明)
 当時の井上について、岡田はこう語っている。

井上さんにとってはクーデター計画というよりは、明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」みたいなものでした。織田信長があまりに酷い奴で、このままでは全員討ち死にしてしまう。たとえ主君殺しの汚名を着てでも、部下たちにとってやる気の出る、働きがいのある天下を作りましょう、というのが明智光秀の謀反計画の実相でした。それと同じ心持ちだったのだと思います。(岡田斗司夫「遺言」より)

ガイナックスをつぶすためにNHKから「ふしぎの海のナディア」制作を持ってきた

 2人をその気にさせるために、井上は天下のNHKのテレビシリーズ「ふしぎの海のナディア」の制作をとりつけてきた。そして、貞本へ「お前が監督で1本作らないか?」と持ちかけたのだ。現場のスタッフは、山賀の演出ではなく、貞本の圧倒的画力に惚れ込んでいることがわかっていたからだ。そして、「ガイナックスは、岡田、山賀、庵野の間で作品を企画してるだけで、他のスタッフを監督にしてやりそうにない。それなら、ガイナックスを分けなければならない」と言った後、決定的な一言を続けた

今ガイナックスにはそういう無駄が多いから、あえてアニメ会社を別に作ろうと思う。そこについてきてくれ。(岡田斗司夫「遺言」より)

クーデターはいかに失敗したか

 貞本は、別の会社をつくって監督をやってもいいが、「岡田さんみたいな人はいるのか?」と井上に尋ねたのだという。絵は書けるし、アニメーションもできるが、一人で作るのは嫌だと。「オネアミス」のように皆で議論しながら、つくりたいということだ。井上は、岡田のように作品の内容に口出すプロデュースではなく、作品内容に全く興味が無いタイプだったのだという。井上は、「なら、宮崎駿になればいい。宮崎駿は、スタッフが宮崎駿自身であればいいと思っている監督だぞ。」と言ったそうだ。しかし、貞本は宮崎駿の才能が全編にわたって浸透している「カリオストロの城」は好きではなく、アニメ版ルパン第一シリーズ(大塚康生や宮崎駿ら様々な人間が関わってつくった)が好きだと言い、一人ではつくれないと反論した。このやりとりは、3ヶ月間続き、井上は折れ、岡田に秘密裏に進めていた「ふしぎの海のナディア」の企画を話し、庵野秀明を監督に据え進めていくこととなる。井上は、庵野が監督決定後に、すぐにガイナックスを退社した。
 

そして、岡田斗司夫はガイナックスを去った

 クーデター失敗後、会社を立て直すために、岡田は、アマチュア時代の仲間、澤村をガイナックスへ新社長として呼び、自身は退社した。

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