『機動戦士ガンダム』で知られる富野由悠季が、同い年の宮崎駿の才能に衝撃を受けながら、乗り越えようとしたライバル関係をまとめてみる。
富野由悠季が語る宮崎駿
同世代の映画監督として、宮崎駿を強烈に意識しつづけて、「奴は敵だ!」と言い続けてきた富野由悠季。ここでは、宮崎について語る富野の言葉をまとめてみる。
宮崎駿にかつて馬鹿にされた
宮崎駿には、知識、見識のレベル感で歯が立たなかったと富野は語る。
富野:「メカが好き、ロボットが好き、だけでロボットものが作れると思うなよ」と強調しているのは、言ってしまえば、宮崎監督が僕に言ってくれたことなんです。何を言われたかと言うと、「富野くん、それ読んでないの?」その一言。(ORICON NEWS 『ガンダム』生みの親・富野由悠季が感じた手塚治虫・宮崎駿の凄み より)
富野は宮崎の一言に馬鹿にされたと感じたが、それでも宮崎の教養は圧倒的だったのだという。この時、話題になったのは宮崎が敬愛している堀田善衞の本であり、富野も半年前にその本を読んでいたのだが、宮崎の教養の前に反論ができなかったのだという。
堀田善衞やタルコフスキーなど、宮崎駿が影響を受けた作品のまとめはこちら
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『アルプスの少女ハイジ』の現場で受けた衝撃
富野が宮崎駿、高畑勲を初めて仕事をしたのが、「アルプスの少女ハイジ」の制作現場だったという。高畑の脚本を見た富野は、延々と続くペーターと羊が山を登っていくだけのシーンを見て、アニメとして絵が持たないと高畑に反論したのだという。すると高畑は、こう答えたという。
高畑:何がいけないんですか?宮崎もいるし。(KOBECCO 「僕自身も衝撃を受けました」─富野由悠季の世界 より)
2人の才能に衝撃を受けた富野は、その後2人からの仕事依頼は2つ返事で引き受けたのだという。しかし、富野が切った絵コンテも宮崎駿に全面的に描き直されていたこともあるという。
富野:たまに忙しい中で番組を見て、徹底的に直されたコンテってのもありましたけど、そういうのは今まで経験したことがなかったことです。それまでは、自分のコンテは無条件で作画をしてもらってましたからね。『ハイジ』や『アン』あたりでもこれをやるのかっていうのを本当に見せつけられて、あのお二人を叩きのめしてやろうと、そこであのアムロ・レイというキャラクターが生み出せたんだと思いますね。(KOBECCO 「僕自身も衝撃を受けました」─富野由悠季の世界 より)
富野が語る宮崎駿作品
そんな富野だが、近年は宮崎駿作品について素直に称賛のコメントをしている。
『となりのトトロ』
極めて素直で、作為が見えない。
『となりのトトロ』って作品は、かなり好きだし、名作だと思ってますけど。それ以外に、そんな好きなアニメや映画があるかって言われると、あんまりないですね。(「爆笑問題のススメ」出演時)
なんていうのかな、監督でもあるし、ストーリーそのものも宮崎駿さんが作ってるんだけど、かなり自然体で作れた。なおかつ、アニメーター出身の演出家の、気負いのない作り方っていうのが見えていて。作りとして、極めて素直で、作為が見えない。まあ、多少はあるんですけどね。それはさておいて、このくらいにスルッと作れたら、良いんだけれどもな、この芸がなかなか……。それで、簡単に見えるわけです、作品的にも。「これが出来ないんだよね」って。(「爆笑問題のススメ」出演時)
『風立ちぬ』
あの作品はアニメという枠を超えた“映画”なんです。
富野:手塚・宮崎のような作り手をそばで見ていると、ひとつの目線だけでアニメを作れるとは思えなくなります。宮崎監督は『紅の豚』が作れるから『風立ちぬ』も作れるんです。どういうことかというと、メカのディテールはもちろん物語の描き方も熟練しています。だから、『風立ちぬ』みたいな巧妙な作劇ができるんです。僕からすると、あの作品はアニメという枠を超えた“映画”なんです。(ORICON NEWS 『ガンダム』生みの親・富野由悠季が感じた手塚治虫・宮崎駿の凄み より)
宮崎さんが描いたのは、絶望の物語なんです
富野:ぜひご覧になってください。本当に見事な映画です。宮崎さんが描いたのはこういうことです。技術者というのは夢を持つ。美しいものが空を飛ぶ姿は素敵だ。でも、航空技術に関わったおかげで、軍事でしか自分の才能を昇華できなかった。そんな絶望の物語なんです。(「SACLA×GENIUS」より)
本当に僕は、この物語を話しているだけで駄目なんですよ。悲しくて。
富野:映画にはそのカプローニと夢のなかで出会うシーンがあって、「家族みんなを連れて、好きなところに旅に出かけられたらいいね。君もそんな飛行機を作りなさい」と言われる。それで彼は「頑張ります!僕も美しい飛行機を作ります!」と答えるんだけど、最後にもう一度カプローニに会う。堀越の“飛行機を作る”という夢は確かに実現した。「でも、僕が作ったあれは、一機も戻ってきませんでした」と彼は声を振り絞るんです。その瞬間、頭上をバーっとゼロ戦の大群が飛んでいって終わる……。(感極まって)もう本当に僕は、この物語を話しているだけで駄目なんですよ。悲しくて。(「SACLA×GENIUS」より)
宮崎駿が語る富野由悠季
宮崎駿が語る富野由悠季評はどう探しても見つからないので、2人に近い関係者の声をまとめてみた。
実は宮さんも富野さんのことが大好きなんだよ。
2人と関係のある押井守はこう語っている。
押井 恨んでないよ。共感しているんだよ。僕は富野さんのことが好きなんだよ。実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね。宮さんと富野さんって、実は仲良しなんだよ。
――ええっ!?
押井 これ、面白いでしょ? 宮さんは虫プロが大嫌いだから、出崎統さんとか『あしたのジョー』(70-71)とかが大嫌いなんだけど、虫プロ出身の富野さんのことだけは大好きだった。宮さんは苦労人が好きだし、富野さんが虫プロで苦労していたからという背景もあるんだろうけどさ。(ガジェット通信 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編 押井守の映画50年50本より)
『機動戦士ガンダム』がなければ『風の谷のナウシカ』は生まれなかった
映画プロデューサーの高橋望(「紅の豚」・「おもひでぽろぽろ」を担当)は、富野由悠季の「機動戦士ガンダム」の大ヒットがあったからこそ、アニメージュという雑誌が生まれ、アニメーション業界全体に資本が集まるようになった。その結果として、「風の谷のナウシカ」が埋まれたのだと、宮崎駿本人の口から聞いたとインタビューで話している。
高橋氏は、宮崎駿監督や富野由悠季監督らにふれ、「この時代の作り手がいて、ファンがいたからこそ、現在のアニメがある」と説明。なかでも「『機動戦士ガンダム』がないと『アニメージュ』はなかった」と指摘し、「『機動戦士ガンダム』がなければ『風の谷のナウシカ』は生まれなかったと、宮崎さんがそう言っていた」と明かした。(オリコンニュース2021年12月9日)
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