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【考察】宮崎駿が語る「もののけ姫」の真のテーマとは

 混沌とした世界観とストーリーで、何度観ても一言で言い表すことのできないジブリ大ヒット作「もののけ姫」の真のテーマを監督 宮崎駿の言葉を中心にまとめてみる。

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映画のテーマに関して

緑にやさしい、自然にやさしい映画をつくるジブリというイメージを打ち破りたい。

 自然とは、守ってあげなければ壊れてしまうという社会的意識の急激な高まりと、「風の谷のナウシカ」「トトロ」で定着した「緑にやさしい、自然にやさしい映画をつくるジブリ」という誤ったイメージを打ち破るために「もののけ姫」をつくったと宮崎はインタビューで語っている。「緑にやさしい、自然にやさしい映画をつくるジブリ」という自然に対する一方的イメージに関して、宮崎は変なブランド化が起きてしまっているととらえていたようだ。

自然と人間の間には抜き差しならないものがあって、生産のつもりが破壊であったり、ひとつの文明が滅亡したりというふうな失敗を、人類はくりかえしてきたんですね。それはいままで地域的に行われていたんですが、いまや地球規模になっています。それは善いとか悪いとか言うまえに、人間が善なるものと思ってやってきたことの結果であるわけですから、それをただ悪として片付けるには問題が複雑すぎて収まりがつかない。一エンターテイメントとしてそういう素材を取り上げることについてはためらいもものすごくあったけれども、ここでその問題はやっとかなきゃいけないんじゃないかと思いましてね。(宮崎駿 「折返し点」より)

 宮崎は、そんな複雑な自然と人間のかかわりあいについて、理解するために「環境考古学」や「緑の世界史」といった書籍を薦めている。

人間も地球環境も全てひっくるめた世界の中で、憎しみを乗り越えられるかを描きたかった

 さらに、日本人の観客は、この映画を自然環境へのメッセージだと受け取っているのではないかというインタビュアーの質問に、宮崎はこう語っている。

そういう風に受け取ろうと思っている人は、多分映画を見る前からそう決めてかかってきている人たちで、僕は自然環境に対する問題の捉え方に異議申し立てをしているつもりなんです。
 つまり地球環境と人間を分けるのではなくて、人間も他の生き物も、地球環境も、水も空気も全てひっくるめた世界の中で、人間の中に次第に増えていく憎しみを人間が乗り越えることが出来るかどうかということも含めて、映画にしたかったんです。(宮崎駿 「折返し点」より)

善悪だけで見ようとしても、本質はつかめない

 多くの識者が指摘するように、「もののけ姫」を境に宮崎駿の映画は、複雑性を増し、わかりやすい結末がなくなってくる。善と悪とを判断できない作品となったことを宮崎はこう語っている。
人間の歴史ってそういうものなんですね。戦争やったおかげで女性の職場進出がすすんだりするわけです。

映画の時代設定について

 「もののけ姫」中世から近世へ移行する15世紀の室町時代を時代背景としている。いわゆる時代劇の「武士」・「農民」をほとんだ出さず、製鉄民や、照葉樹林の森に生きる山犬神、猪神、エミシの一族など、忘れられた民を登場させている。
 宮崎は、日本において黒澤明の「七人の侍」の影響があまりにも強く、時代劇に武士と農民しか登場してこなくなったのは、「自分たちで、この国の歴史を面白くなくしている」と感じたことを語っている。

宮崎:「七人の侍」というのは戦争に敗けて帰ってきた男たちが、食料難で買い出しに行ったところでお百姓たちのいろんな態度にぶつかるとか、そういうリアリティをもった映画で。あまりにもおもしろくできているので、以後、呪縛のように日本の時代劇を縛ってしまって、常に侍対農民という階級史観が固定しちゃったような気がしてるんです。(折り返し点1997~2008より)

キャラクターの設定

アシタカ

 日本国の侵略に敗れ、北の地の果てに隠れ住むエミシの一族。宮崎は、我々が直面している課題をアシタカというキャラクターに集約させたという。それは、村を守るためにタタリ神を殺すことにより、理不尽にも呪われることである。現代で、主人公が旅立つ動機となるのは、「予め理不尽な状況にあること」でしか、リアリティがないと宮崎は考えていた。これは、本作とは関係なく、社会学者の宮台真司が90年代より提唱していたことと同様である。

エボシ御前

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 名前の由来は、宮崎駿の山小屋のある村の烏帽子という地名から。海外に売られて、倭寇の大親分の妻になり、腕を磨いて、男を殺して財宝を奪い戻ってきた女という設定。森を切り壊しタタラ場を作ったが、封建的なしがらみから女たちを開放し、差別されるハンセン病の人たちを人間として扱った。本作のテーマである「地球環境と人間を分けるのではなくて、人間も他の生き物も、地球環境も、水も空気も全てひっくるめた世界の中で、人間の中に次第に増えていく憎しみを人間が乗り越えることが出来るかどうかということ」を体現している人物。
 プロデューサーの鈴木敏夫は、「エボシ御前」というキャラクターは作品の中で殺さなければならないと宮崎駿に迫ったが、宮崎は、エボシ御前に感情移入してどうしても殺せず、腕を吹き飛ばされるというシーンを描くにとどまったのだという。宮崎は、エボシ御前というキャラクターについて、こう語っている。

宮崎:エボシ御前という人物は好きです。彼女は二十世紀人そのもので、現代人というのはある時代の人から見ると悪魔みたいなものなんじゃないかと思うんです。目的と手段というものをはっきりわきまえて、目的のためにある手段を平気で使いながら、でも同時にピュアなものを持ち続けている。それは悪魔ですよね。颯爽と歩き回っていて。(折り返し点1997~2008より)

ジコ坊

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 宮崎は、ジコ坊のことを、この世の中でいちばんたくさんいる会社人間だという。

組織と人間のあいだで分裂して悩むかというと、損得で動いているので悩むことはない。分裂してるんだけど平気でいる。組織の命令が下りると善悪は考えず命令に従う。しょうがないけどこれは命令だからやらなきゃいけないという姿勢ですね。やることの際どさは十分に分かっているから、なるべくエボシ御前にやらせようという世知にもたけている。(折り返し点 1997~2008より)

 また、宮崎は、ジコ坊は、僧でありながら、まるで俗人のようにふるまい生活している人=半僧半聖のような人として描いたという。中世の混沌の中の、得体のしれない連中の代表格として複雑な人物として設計された。

シシ神(ディタラボッチ)

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 中世、山村で暮らしている人間が危険な森にやってきて、そこで木を切り、鉄をつくる人々(タタラ場の人々)が、腕や足を無くし、目をやられている(片目)様子を見ることから生まれた大太法師という巨人伝説からつくったイメージだという。

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大太法師
コダマ

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 森の持っている不気味さ、不思議さからコダマは生まれたと宮崎は語っている。

宮崎:森はただの植物の集まりではなくて、森が精神的な意味も持っていた頃のイメージをどういう形にしたらいいだろうと考えてまして、ただ大きな木がいっぱいあったり、薄暗ければ森ということではなくて、そこに踏み込んだ時の不思議な感じとか、誰かが後ろから見ているような、どこからか聞こえてくる不思議な音とか、そういう「気配」のようなものを表現するのに、どういう形を与えたらいいんだろうと考えた時に、コダマが出てきたんです。(折り返し点1997~2008より)

影響を与えた作品

本作に観られる人間と自然の関わり合いについて

「環境考古学」

神殺しという物語モチーフについて

ギルガメッシュ叙事詩

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