宮崎駿 関連記事まとめ

 本ブログにおける宮崎駿関連記事のまとめ
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①宮崎駿の天才の理由。なぜ世界で売れるのか

 宮崎駿は、なぜ国民的作家となり、世界で評価されるに至ったのか。その理由をジブリ プロデューサー鈴木敏夫や、庵野秀明、押井守、川上量生が語った内容をまとめた記事です。

無意識に脳が認識した絵を描けるのが宮崎駿の才能

庵野監督の感想がまたおもしろかったのです。 「じゃあ、なぜ宮さんは脳に気持ちいい形を正確に描けるのか? 宮さんはおそらく目が見たとおりをそのまま描いているだけだと思います。つまり脳が認識して、受け取った情報のまま、紙に写しているので、それが結果的に脳が理解しやすい形になるというのが宮崎駿の秘密だと思います」 つまり意図して脳が認識しやすい絵を描いているわけじゃないというのです。ふつうの人は脳が認識したとおりには絵を描けない。それが無意識にできてしまうのが、宮崎駿の才能だというのです。 庵野監督によると、脳にとっての最高の写実主義をやってのけているのが宮崎駿だということになります。(「コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと」)

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②宮崎駿を敵視し、乗り越えようとした映画作家、押井守が語る宮崎駿の凄さ

「千と千尋の電車シーンの凄さ

電車に乗って三途の川を渡ったわけじゃん?あれはすごい表現だよ。あそこは「火垂るの墓」の夜の市電のシーンと同じぐらい迫力があった。そういう意味でいえば死の世界の迫力があったよね。「もののけ姫」とはえらい違いだよ。(「勝つために戦え!監督稼業めった斬り」)
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③宮崎駿と庵野秀明を巡る全エピソード

 庵野秀明は、宮崎駿を師匠であると公言し、宮崎駿は庵野を弟子というよりライバルだと語る。そんな二人が、「風の谷のナウシカ」の現場で初めて出会った話や、庵野がエヴァンゲリオンアニメシリーズ終了後に、自殺も考えるほど参っていた時に宮崎から激励の電話があったことなど、「お互いについて言及したエピソード」のまとめ。

宮さんの1番いいところはいつ見ても絵コンテなんですよ。宮さん100%なので、コンテが1番おもしろい。絵コンテから作品になっていく過程で、宮崎駿率が下がっていく。僕が宮さんの作品で1番好きなのは、漫画『風の谷のナウシカ』なんです。あれは漫画だから、作品が100%宮さんで構成されてるんですよね

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④鈴木敏夫が語る宮崎駿と高畑勲の奇妙な関係

 高畑勲がつくるから、自分もやるし、高畑勲にまだつくってもらいたい、そんな想いが宮崎にはある。高畑に片思いし、そして、ライバルでもあり、親友でもあり、倒すべき存在でもある。そんな二人の関係を鈴木敏夫の著書「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」をもとにまとめた記事。

漫画で連載していた「風の谷のナウシカ」の映画化にあたって、宮崎駿が鈴木敏夫に出した条件が、高畑勲をプロデューサーにすることだった。鈴木は、高畑に依頼するが、引き受けてくれず。挙げ句の果てに、高畑は、大学ノートにプロデューサーとは何かを資料としてびっちりとまとめ、その最後に、だから私はプロデューサーに向いていないと締めくくっていたそうだ(笑)
 鈴木は根負けし、宮崎駿に交渉失敗したことを告げると、急に飲みに誘われたという。宮崎は、日本酒を一気に空け、俺は高畑勲に青春を捧げたのに何も返してもらっていない、と話し号泣した。そんな宮崎の姿を見ていたたまれなくなった鈴木は、高畑を怒鳴りつけ、結果プロデューサーを引き受けてもらったそうだ(笑)

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⑤宮崎駿が影響を受けた作品や、影響を与えた作品のまとめはこちら

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⑥天才 宮崎駿と呪われし息子 宮崎吾朗の爆笑エピソードまとめ

 天才、宮崎駿とその息子 宮崎吾朗の関係についてま。宮崎吾朗は偉大なる父と同じアニメーションの世界で、毀誉褒貶にさらされていることが分かっているのに、なぜ入ったのか。そして、「ゲド戦記」「コクリコ坂から」など、制作現場で口を出してくる父と、その力から逃れようとする宮崎吾朗、そんな爆笑エピソードをまとめてみた。

ジブリ美術館の立ち上げが終わり、ジブリを去ろうとする宮崎吾朗に「監督をやらないか」と声をかけたのが鈴木敏夫。当時、監督をやる予定だったアニメーターがプレッシャーのあまり、企画を降りてしまった。そこで、宮崎吾朗に声をかけた理由を鈴木敏夫はこう語っている。

僕の中で前から引っ掛かっていた疑問があらためて浮上してきました。美術館の仕事で声をかけたとき、彼は余計な説明は求めずに、二つ返事で引き受けた。父親と衝突するのは分かっていたし、実際に建設を進める中で何度も問題が持ち上がりました。それでも、彼はそれを乗り越えた。 今回も、彼が監督することになれば、「宮崎駿の息子というだけで監督になれるのか」という目で見られるのは確実だし、当然、父親との軋轢も避けられません。それなのに、彼は「できない」とは言わなかった。それはなぜなのか? 映画を作ることと同時に、その謎を解くことも僕の中でテーマになっていきました。(天才の思考 高畑勲と宮崎より)

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⑦宮崎駿と黒澤明の知られざる関係性まとめ

 世界に大きな影響力を持った映画監督 黒澤明と、ジブリで世界のアニメーション、ファンタジーに影響を与え続けている宮崎駿。宮崎駿は、黒澤明作品に多大な影響を受けたと述べる一方、晩年の作品はこきおろしている。そんな両者の関係性についてまとめた記事。

宮崎:作るのやめればよかったのになんて・・・・「影武者」からやめればよかったのにって思ってるんです。本当に。僕は「椿三十郎」でもちょっとヤバいな。って思ってたぐらいですから。
インタビュアー:あれでヤバいんですか?
宮崎:ヤバいですよ。絶対ヤバいと思う。映画を作る人たちっていうのは、近代人だったんですよ。それが、近代人の心じゃなくなったっていう。いや、僕の妄想かもしれませんけど・・・・・。だから、日本の映画のモノクロ時代の頂点っていうのは、その次代の知識人だとか、近代人であろうとした人たちが映画作ってたんじゃないかって、そういう気がすますけどね。そう思いませんか?(「風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡」より)

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⑧なぜ宮崎駿の「ハウルの動く城」は意味がわからないのか。「もののけ姫」から始まった独特の作劇方法

 宮崎駿の作品は、ある時から「こういう映画だった」と語ることができない、意味不明なものになった。代わりに語られるのは、圧倒されるアニメーション表現と、複雑怪奇なテーマに関する考察である。その意味のわからなさが頂点に達したのが「ハウルの動く城」である。いつから宮崎駿の作品は、意味がわからなくなったのか。そして、「ハウルの動く城」とは一体どういう作品であるのか、まとめてみたいと思う。

宮崎:『ハウル』の評価には怒ってますよ、ものすごく! 殴りにいこうかと何度も思って(笑)。
説明するための映画は作らないと決めた以上、俺は説明しない!っていうことでやったら、やっぱり半分ぐらいの人はわからないみたいなんですよね。これはきわめて不愉快な現実でしたね。これは前から感じてたんですけど、理屈が通ってるのが好きだっていう人たちはいるんですよ。その人たちは映画を観なくてもいいと思うんだけどね、僕は(笑)。と言ってもしょうがないんで。お客さんがお金を払ってくれるんですから。

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⑨手塚治虫への尊敬と失望の想い 宮崎駿と手塚治虫の知られざる関係

  宮崎駿が少年時代に手塚治虫作品に得も言われぬほどの影響を受けた話や、その後、手塚治虫のアニメーションや、悲劇性に対して、失望するエピソードなど、手塚治虫と宮崎駿の知られざる関係についてまとめた記事。

宮崎:アニメーションに関してはーこれだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますががーこれまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

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⑩宮崎駿と高畑勲の最大の違い

 宮崎駿と高畑勲の最大の違いは、主人公に直接感情移入させる(宮崎)と、やや遠いところから、観客が自由に考える余地を残す(高畑)という演出手法の相違にある。後期の作品では、特に両者の溝は深まることとなる。高畑勲の著書「アニメーション、折に触れて」をもとに、両監督の目指したものの違いについてまとめた記事。

高畑勲は、日本のアニメーション他、多くの作品が目指したのは、主人公に直接感情移入させることだったと語る。この感情移入させる技術において、日本のアニメーションは、本場のアメリカより、一歩先んじていたという。
これを高畑は、「思い入れ型」と名付けている。この「思い入れ型」を推し進めたのが、宮崎駿であり、高畑はそれを部分的に否定し、違うものをつくろうとした。これが両者の違いである。

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⑪押井守と宮崎駿の超貴重な対談

 押井守と宮崎駿の貴重な対談をまとめてみる。当時の押井守の劇場長編初監督作「うる星やつら オンリー・ユー」に関しての対談についてまとめた記事。宮崎は、押井を前にして、作品を酷評している。

宮崎:キツイ言葉いっているかもしれないけど。ぼくはこういうことも気になったんです。ー部屋からみんな見ている、ああ戦争だなあ、おもしろいなあと。これ窓から見ているでしょう。テレビスクリーンじゃなかったと思うんです。ところが格納庫に入っている宇宙船のどこに窓があるんですか?格納庫の扉が開いたらその窓が宇宙船のハナ面だったとか…そういうことを大事にしなきゃいけないと思うんですよ。なんとなく、感じで映画を作っちゃいけないんで、その世界というものはドタバタでもちゃんと作るべきじゃないかな。(宮崎駿 「出発点」より)

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⑫宮崎駿と押井守の知られざる関係まとめ

 押井守は宮崎駿のことを「敵だ」と公言し、宮崎と差別化するために王道のファンタジーではなくマイナーな作品をつくってきた。鈴木敏夫は、宮崎駿にとって押井守は、数少ない宮崎に認められ、対等に議論できる人間であると語っている。若い頃、押井と宮崎、鈴木で行った旅行のエピソードや、お互いの作品に関して言及したエピソードを中心にまとめてみた。

押井:宮さんが幽霊連れてきたっていってさ(笑)
鈴木:宮さん、よく連れてくるんだよ(笑)なんっていうかね、まだ来ないうちから、来てるっていってねえ。
押井:夜中に起きて、みんなで大騒ぎしてて、私はベッドに入ると2,3分で寝ちゃう男だから。
鈴木:あの時、俺と宮さんが同じ部屋なんだもん・・・真夜中に、いきなり電気全部つけるんだもん(笑)何だって思うと、宮さんが「・・・・起きたんですか?鈴木さんも?(幽霊ですよね?)」って言うんだよね。
押井:あんたが起こしたんだろ!って。
スタッフ:どうなったんですか?
押井:宮さんは朝まで起きてたみたいよ。
鈴木:起きてた(笑)
押井:ベッドも湿っぽかったし、幽霊が出そうな場所ではあったよ。

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⑬宮崎駿の圧倒的な名言まとめ

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⑭宮崎駿と盟友 鈴木敏夫プロデューサーの熱い関係

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⑮宮崎駿が劣化のごとく怒り、こきおろした作品はこちら

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